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工学オーディオに取組むオカルト嫌いです。


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カテゴリ:美術( 15 )

今週の日曜に、三菱一号館美術館のレオナルド×ミケランジェロ 展を再度見に行きました。

というのは、前回は、ミケランジェロの彫刻が間に合わなかったからです。

前回は、彫刻が間に合わなかったので、そこだけ入場できるチケットを配布していましたが、女房が年間会員なので、会員証で一緒に入り直しました。

デッサン類を再び見ると、また、新鮮でした。

ダ・ヴィンチとミケランジェロのお互いに全然違う主張を掲示してあるのですが、そのどちらも納得できるもので、超一流になってしまえば、何が正しいのかわからなくなってしまうのでしょう。

自然科学以外は...


今回遅れて入荷したのはキリスト像です。

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顔の部分に大理石の黒い色が出てしまったので、中断したとされる作品です。

私の感じるところでは、彫刻の技術は、ギリシャ時代に完成されてしまったので、それ以降は、造形が美しいとか、正確だとか、それ以上に内に秘めることが必要です。

ミケランジェロは、彫刻家として有名ですが、私は画家としてのミケランジェロのほうに魅力を感じます。

彫刻は、三次元コピーのようなところがありますが、絵画は、二次元に嵌めて表現するので、その過程で三次元にできない不完全な部分を補うために、様々なメッセージが入ります。

いわば、彫刻は自然科学の世界、絵画は、自然科学+文学の世界みたいな感じです。

彫刻には、元の造形を完全に破壊してしまったような先品がありますが、ミケランジェロの時代は、正確な造形のなかにメッセージを入れています。

ミケランジェロの彫刻は美しいのですが、絵画のほうをもっと見たいと思いました。


それでも、これほどの作品を見られるなんて得した気分です。


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by mcap-cr | 2017-07-25 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(0)
土曜にアルチンボルド展に行きました。

朝一に滑り込み空いているところを狙おうと思いましたが、既に行列ができていました。
前売り券を買っていなかったら大変なところでした。

アルチンボルドといえば、野菜や魚等全然人物と関係ないものを並べ、遠くから見たときに人物画になるように描きます。
16世紀の画家ですが、シュールレアリズムの創始者のように崇められています。
野菜を使って人物画を描くというだまし絵的な要素だけなら、単にウケ狙いということで終了ですが、何故これほど重要な画家として尊敬されるかというと、それぞれの物体や生物の描写表現が半端ではありません。
動物は動物それぞれが毛並が生々しく描かれ、それぞれに表情があり、部分的に注目して観察してもそれが、人物画であるとは思えません。
それぞれの構成要素(野菜や魚など)には、王を讃える意味があるので、宮廷画家として重用されました。
現在見てもそれぞれの構成要素の深い意味はピンときませんが、描写力については驚くしかありません。
描き始める前の設計段階には相当な時間を要したのでしょう。
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上の絵は自画像ですが、単に自画像というだけではなく、よく見ると、紙の切れ端を使って構成してあります。
本当にシュールレアリズムの元祖なのでしょう。
驚くしかありません。


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by mcap-cr | 2017-07-10 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(0)
日が変わってしまいましたが、昼に、三菱一号館美術館のレオナルド×ミケランジェロ
展に行きました。

本人の作品によるカラーの絵画はありませんでしたが、デッサンを鑑賞することができました。
中に、撮影コーナーがあって、そこで印刷物を撮影することができました。
せっかくなので記念に一枚。
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左が、ダ・ヴィンチ、右がミケランジェロです。
ダ・ヴィンチは身分が低かったので、出身地の地名でこう呼ばれています。
日本も平民に名字が与えられたのは、明治のことですから、イタリアで15世紀に名前がなくても不思議ではありません。
ダ・ヴィンチは、子供の頃から自然が友達で、観察眼を養ったそうです。
ミケランジェロは、日本ではダ・ヴィンチよりも人気は劣るかもしれませんが、システィーナ礼拝堂の天井画などで他を寄せ付けない圧倒的な実績を誇っています。
展示の説明が、いたるところにあって、ミケランジェロとダ・ヴィンチの言葉が短く書いてありました。
日本語の他は英語の表記です。
何で言語で書かないの?
翻訳では、ニュアンスが伝わりにくいかもしれません。
わからなくてもいいから、言語でも書いてほしいな、と思いました。

面白いのは、お互いに嫌いだったらしくて、ケチをつけあっています。
ダ・ヴィンチは、表面を細かく描写するのは、中身を見ていないことだ、というし、ミケランジェロは、ダヴィンチが騎馬像の彫刻を完成させられなかったのは恥だというし、まあ、お互いに実力を認めあっていたということでしょう。
デッサン画を見ると、自分には、ミケランジェロの描写力のほうが短くポイントを突いているように見えました。
ダヴィンチは、なかなか完成させられなかったみたいで、納得するまで完成度を求めるタイプのようです。
自分のような凡人には、ミケランジェロのほうがポイントを突いた天才に思えます。
絵画については、という条件ですが。
ミケランジェロは彫刻が有名ですが、彫刻といえば、もう紀元前から凄い彫刻がたくさんあるので、比較しても、ローマ時代の彫刻と較べて特筆すべきところがどこなのかはピンときません。
それよりも、絵画の凄さが軍を抜いていると思います。
大聖堂の天井画を何年も描き続ける集中力も、常人の想像を超えていると思います。
ダ・ヴィンチは、絵画の技法をあみだしているので、別なタイプの天才なんだろうと思います。
もう少し豊かな時代だったら親友になったんじゃないか、なんて考えながら展示に感心していました。





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by mcap-cr | 2017-07-03 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(0)
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展に行ってきました。


訪れたのは、6月18日(日)開館時間の9:30に合わせて行きましたが既に行列ができていました。
前売り券買っておいて良かったです。それでも並びましたが。

今回の目玉は、ブリューゲルの『バベルの塔』は、他にもあります。
私は、2005年にウィーンで別の作品を見ることができました。
今回のボイマンス美術館の『バベルの塔』は、私が見たものよりも後の作品で、更に進化したものです。

まず、最初は、同時代の他の作品を見てから、ヒエロニムス・ボスの作品が展示されていました。
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はがきを低解像度でスキャンしたので、ぼやけていますが、この作品は極めて細密に描かれており、その解説がありました。
『放浪者』という作品ですが、注意していないと見落としてしまうようなところに細かく描写されています。
いろいろありますが、背中に背負っている荷物に猫の毛皮がぶら下がっているのが気になりました。
どうして猫なんだろうか...
きっと意味があるのでしょう。

他にも素晴らしい作品が目白押しでしたが、バベルの塔については、実作品の他にも説明のための工夫が凝らしてあります。
実際の作品はさほど大きいわけではありません。
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これも低解像度なのでよくわかりませんが、実際の作品がどれくらい細密にできているかは、展示会の中では、これがどれくらいすごいのかわかるように工夫されていました。
塔の中央部分には、人や機械等が細かく描写されています。
それが、拡大されて壁いっぱいに展示されています。
その拡大図を見ても、解像度が足りないと思わせるだけの細かさです。
もうひとつの目玉は3DのCGを見られたことです。
ブリューゲルのすごいところは、この絵を設計図として実際に建造できるくらい正確に描写しているところです。
そのことは、3DのCGを見ると実感できます。
こういうのは、ボイマンス美術館に行っても見られないかもしれません。
こういう企画展示会は、現地でも見られないほどの詳細な説明を見ることができます。

描写力は、観察力なので、この絵を書こうと思ったら、工学知識が必要です。
部材(石等)それぞれの重量はどの程度か、それを揚げるためにはどの程度の巻揚機が必要か、どのような順番で組立てれば、上部構造を支えることができるのか...
バベルの塔は実在するものではないので、観察することさえできません。
それを単に妄想したって描けるわけでなないので、上記のように自分で設計し、建造手順書を作らなければこのような絵を描くことはできません。

いやいや、素晴らしい展覧会でした。


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by mcap-cr | 2017-06-20 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(4)
六本木で開催されている大エルミタージュ美術館展に行ってきました。
美術は音楽と似たところ、似てないところがありますが、共通するところは、気持ちを穏やかにしてくれたり、掻き立ててくれたり、心に訴えてくるところでしょう。
エルミタージュ美術館には行ったことがないので、収蔵作品については殆ど知りませんでした。
ポスターを飾るのがクラーナハの渋い聖母子像ということで、有名でない名作が来ているのだろうとか、勝手に邪推していました。
訪れたのは、六本木で、日曜の昼過ぎだったにもかかわらず、運良くあまり混み合っていませんでした。
この前ブログに書いたミューシャ展も、そのときは混んでいませんでしたが、今はかなり混み合っているようです。
こうした展覧会はなるべく早めに行ったほうがいいのかもしれません。

さて、足を踏み入れてみると、自分の知らないすごい作品がずらりと並んでいます。
はいっていきなり、カルロ・ドルチの『聖チェチリア』に目が吸い寄せられました。
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ドルチとい画家は知りませんでしたが、これは単に自分が不勉強なだけでしょう。
美しいです...
そして、ティツィアーノの『羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像』にも目が止まりました。
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このブログのリンクにも紹介している、desire_sanさんのブログを拝見して、ティツィアーノについて少し覚えたので、その魅力を更に感じました。
他にも素晴らしい作品がたくさんありましたが、中でもムリーリョの作品が目に止まります。
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『幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ』は、キリストが特に堂々としていて、ジョヴァンニよりもずっと格上であることがひと目で伝わります。ムリーリョの構図じは、三角形になっているとか言われます。
一緒に行った女房は左下と右上が三角形になっていると言っていましたが、私には、左上と右下で三角形になっているように見えます。
左上は、キリストと天使、右下はジョヴァンニと羊ということで、一線を引いているように感じました。
正しい解釈ではないと思いますが。

そして注目したのは、同じくムリーリョの『受胎告知』です。
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中央の鳩を中心に、右下が聖母マリア、左下が大天使ガブリエレと配置されています。
私が受胎告知で注目するのは、大天使ガブリエレのほうです。
有名な、ダ・ヴィンチの出世作の大天使の羽は、ちょっといびつに見えます(教科書的には、生物学的に良く観察されていることになってます)が、ムリーリョのガブリエレの羽は自然で美しい形をしています。
ガブリエレの顔は、りりしくて美しい、女性のような男性の感じです。
顔は女性っぽいのですが、足は男性であることがよく現れています。
自分の好きな受胎告知のひとつとなりました。

ちょっと脱線しますが、2010年にパリに行ったときに、ルーブル美術館までほぼ毎日通いました。
そこで、毎回必ず立ち止まってしばらくかじりついて見た絵が、グイドー・レーニの『受胎告知』(下の写真)でした。
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ルーブルではフラッシュを炊かなければ写真撮影しても怒られないので、その絵も写していました。
レーニの絵も、注目するのは天使のほうで、美しいけれども恐ろしい美少女のようでした。
羽は飾りのようですが、受胎告知が一大イベントであることが強く感じられる作品だったと思います。

東京にいると、こういう美術館展にすごい作品がたくさんやってきます。
今年に入って見ただけでも、ティッツィアーノ展、シャセリオー展、ミューシャ展、エルミタージュ展と、素晴らしい作品を多く鑑賞できました。

人間の五感の中で、視覚は特に敏感なのだそうです。
目を隠して鼻をつまんだら味は分からないし、目を隠してオーディオの音を聞いても、音の違いは分かりにくかったりします。
音を比較するのでなければ、暗くすると音が大きく細かいところまで聞こえますが、機器の音の差は返ってわからなくなったりします。
それに対して、耳を塞いで、鼻をつまんで見ても、絵は見分けが付きます。
美術はオーディオよりも明確なので本質的議論ができそうですね。




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by mcap-cr | 2017-03-27 21:52 | 美術 | Trackback(1) | Comments(0)

スラブ叙事詩

いま、国立新美術館でミュシャ展を開催中です。
恐ろしく混み合うことが予想されたので、昨日の午後、早速見に行ってきました。
その中でもスラブ叙事詩が目玉です。
チェコ国外で全て公開されたのは初ということです。
巨大な作品で、これら20点を展示するだけでも、10日間かかったそうです。
ありがたいことに、一部、撮影許可されているところがあり、スマホで撮影している人が他にもいました。
普通は美術品撮影は不可なので、係の人に、本物かどうか、思わず聞いてしまいました。
紛れもなく本物で、所蔵の美術館の好意で一部だけ撮影しても良いことになったそうです。
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撮影許可区域は、こんな感じですが、もっと大きな作品があります。
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ミュシャといえば、パリ時代に描いた、サラ・ベルナールのポスター画の印象が強いですが、本人は、それで良しとするつもりはなかったらしく、最後は祖国のチェコに帰って、スラブ叙事詩に取り組みました。
スラブ叙事詩は、全部で20枚あります。
この20枚が一つの作品を構成しています。
スラブ民族の連帯を強調しており、優しい農耕民族が、凶暴な民族に侵害されていくところから始まります。
最後は、栄光で終わるのですが、制作当時は、第一次大戦の時代でもあり、また、キュビズムの台頭に押されて時代遅れの扱いを受けたそうです。
そして、最後はナチスに捕まり、開放された後、亡くなってしまいました。
この作品を見られたのは、借用してきた美術館のお陰で、運がいいとしか言いようがありません。
現地でも見られないかもしれない作品を、こんな遠くまで貸してくれた美術館にも感謝しなければなりません。
私の知識では、語ることもできませんが、これを読んだ方は是非とも見てみてください。
同じ美術館で同時に開催していた草間やよいのほうが混んでいたのはなぜかわかりませんが、これを見ると、ミュシャの印象が変わると思います。
私もこの作品を見るまでは、ミュシャは、ロートレックと同じようなデザイン画家だと思っていました。
スラブ叙事詩は、各作品がオペラの1場面のようになっています。
スラブ叙事詩を見ながら、いろいろな音楽が頭の中を去来する感じがしました。
だれか、この話をオペラにしてくれないかな。

日本に住んでいると、民族を意識することはあまりありませんが、ヨーロッパのように陸続きだと、たとえ平和な暮らしをしていても、凶暴な隣人に略奪されることが普通にありました。
それで民族の連帯を訴え、ミュシャはこのような作品を残しました。

時代が変わり、今は、陸続きでなくても凶暴な民族には襲われる危険性があります。
スラブ叙事詩の第一の作品のように、穏やかな民族も穏やかなだけでは侵略の危機に怯えなければならないということでしょう。




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by mcap-cr | 2017-03-11 14:57 | 美術 | Trackback | Comments(0)
いま、国立西洋美術館でシャセリオー展をやっています。
こういう展覧会に行って思うことは、やっぱり自分はド素人の中のド素人なんだな、ということです。
良く言えば正統的なド素人かもしれません。
シャセリオーは、19世紀の画家ですが、この展覧会の切符を買うまでは知りませんでした。
しかし、実際に作品を見てたまげました。
有名な画家はたくさんいますが、その中でも群を抜いて凄い人なんではないかと思います。
シャセリオーは、アングルの弟子だったそうです。
作品を見ると、新古典主義の大家のアングルの影響が見て取れます。
しかし、アングルが不在のときに、アングルとは意見が対立していたといわれるドラクロワとも親交を持ってしまったそうです。
そして、作品の中にも、ドラクロワの影響も強く現れています。
こういう展覧会に行くと、気になった作品の絵葉書を購入していますが、絵葉書には残念ながら自分が、そう感じたものはありませんでしたが、一つの作品の中に、アングルとドラクロワが共存していると感じさせる作品もありました。
特に、デッサンでは、人物はアングルのような緻密な表現、人物以外はドラクロワのような勢いの良い線で描かれたものが展示されていました。
個人的に凄いと思ったのが、スペイン人の画家の作品を模写したこの作品です。
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これではよく分かりませんが、肌の色、顔の表情など本物は実に美しいです。
有名な画家は大抵模写作品も残していますが、たいていは、元の作品に模写した画家の個性が感じられますが、これは、シャセリオー自身の個性が分かりません。
元の画家の作品そのままか、あるいは、それを超えているのではないか、と感じさせました。
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この自画像は、16歳のときの作品だそうですが、美しいと思います。
左上のパレットに、シャセリオーの想いが込められていると思います。
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今回のメインはこの作品のようです。
なんか、このモデルの個性がすごく伝わってきます。
衣類など細部の表現も見事です。

シャセリオーは、病弱だったそうで、37歳で他界してしまいます。
最後には、アングルとも仲違いしてしまったそうですが、作品を見ていると、アングルが弟子に超えられた僻みがあったのではないかと思います。

シャセリオーの作品は、ルーブルにもあったので、おそらく見ていたはずですが、そのときはこの凄さに気が付きませんでした。
埋もれてしまっている大家の作品をまとめて見られるのは、東京に住んでいるからかもしれません。




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by mcap-cr | 2017-03-05 16:08 | 美術 | Trackback | Comments(2)
ティツィアーノとヴェネツィア派展に行ってきました。私は、絵画史の中では、ヴェネツィア派が特に好きで、中でもティントレットが好きです。
今回は、ティントレットの作品も来ていましたが、そこそこの出来栄えの作品で、ハガキも売っていませんでした。
ティントレットは、サン・ロッコ信徒会に行かなければ最高の作品を味わうのは難しいだろうと思いますが、ティツィアーノは、本気感みなぎる作品もときどきやってきます。
わざわざ本気感と書いたのは、ティツィアーノの工房の作品の多くは、あまり本気感が伝わらないものが目に付くからです。
私が、そういう作品を見分ける能力があるとは思いませんが、自分の好き嫌いがはっきりしているので、すごいと思えばすごいし、そうでもないと思えばそうでもなく感じます。
今回気になったのは、
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の二点でした。
特に右の作品、フローラは、線は繊細で、描写は細かく、肌の質感も素晴らしい、まさしく女神という感じでした。
左は、マグダラのマリアで、罪深い過去を背負ったマグダラのマリアの苦悩が絵の中に込められています。
フローラとは違い、描写はさほど細かくなく、ずっと後の印象派を先取りした感じの表現です。
その中に、画家が移入した感情がたっぷりと込められていました。

ヴェrネーゼの作品もいくつかありましたが、中でも『聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者ヨハネ』は、目を止める作品でした。
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こうした宗教画は、聖書の中の話に基く想像の世界ですが、この絵を見る人に、まさしくそうであった、と思わせる、完璧な描写です。
絵画は音楽とは違って、媒介者(演奏者)を挟まず、作品と直接対峙できるので、何の知識がなくても心のなかで作者と直接対話できるのが魅力です。
音楽の場合は、楽譜が読めないと、演奏家に聞かせてもらうしかありませんから、美術作品について専門家の解説を聴いて心のなかで期待をふくらませるような感じです。
これはこれで素晴らしいので、比較するのは野暮ですが、音楽だけではなく、美術も心の保養になるものだと思います。

お好きな方にはお勧めします。
文化会館のコンサートにかけて訪れるのもいいでしょう。
上野はそういう魅力のある街です。




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by mcap-cr | 2017-02-26 19:06 | 美術 | Trackback | Comments(2)

マチスとルオー

パナソニック汐留ミュジアムで開催されている

に行ってきました。
この記事、週末に書いていたのですが、途中で全部消えてしまったので書き直しています。
ルオーという画家は知らなかったのですが、昨年の三菱一号館美術館での梅原龍三郎展になぜか展示されていた、聖書の風景という作品を見て気になりました。
マチスは、テレビでもよく作品を見るし、ヒンデミットの『画家マチス』という作品があることを知っていた(聞いたこともあるが、どんな曲か思えていません)ので、少しは知っていました。
マチスとルオーは、ギュスターヴ・モローの下で学んだそうで、生涯親友だったそうです。
手紙もたくさん展示されていました。
フランス語なので読めませんが。
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上は、マチスの作品、下はルオーの作品です。
ルオーは、大胆なタッチで、太い輪郭を描いています。
太陽の輪郭まで黒く太い線で描きます。
風景は、行ったことがないのに、見たことがあるような、視力を失うと見えてきそうな独特の風景です。
色使いも、実体験ではなく、疑似体験を創造することを補強しています。
私は、キリスト教徒ではなく、他の宗教の信者でもありませんが、キリスト教、神道、仏教、イスラム教は、とても尊重しています。
仏教だけは、神様ではなく、仏様の教えになりますが、その他は神様を信仰します。
キリスト教は、イスラム教徒同じ神さまを信じますが、キリストの教えを元に体系化され、キリストも神の世界に近いところにいます。
イスラム教は、ムハンマドが神様から受けた啓示を元に体系化されていますが、ムハンマドは神様ではありません。
仏様も、神様と同様なのかと感じますが、不勉強な私には何とも言えないところがあります。
こうした違いはありますが、人々を幸せにするための宗教は、尊重されるべきです。
神様は、実態がわかりませんが、実際に人々の心の中に抽象化されているし、自分でも感じる瞬間があります。

ルオーの作品は、見た目は、ぐちゃぐちゃっとしていますが、わかりやすく不協和音を元にした現代曲のようで、心地悪さのなかに心地良さを表現していると思います。
ルオーの作品を見ると、本当にキリストが神の使いとして存在しているように感じます。

現代音楽や現代絵画表現は、子供の頃にはさっぱり理解できませんでした。
いまでも理解しているとは言えませんが、自分なりに味わう素地はできたのではないかと思います。
こうした作品に身近に触れることができるようになった時代には感謝すべきだと思います。

絵画は、コピーといえども部屋のなかに飾る作品を選びますが、音楽は、録音したソフトウェアとオーディオ装置があれば、そのときの気分に合わせて何でも再現してしまうことが可能です。
絵画も、プロジェクタを使って部屋を飾ればいいのかな?
宮殿に住んでいないと難しそうですね。


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by mcap-cr | 2017-02-15 20:22 | 美術 | Trackback | Comments(0)

芸術作品と工業技術

今年のスピーカー再生技術研究会のオフ会は、12月24日に八王子の生涯学習施設で行われます。
そこで、自分の発表作品の説明文を書きながら思ったことがあります。

オーディオは、昔はハイファイとかいわれていました。

ハイファイ−High Fidelity−高忠実度

いまや、ハイファイは当たり前なので、こんな用語は使われていないみたいです。
ディジタル技術の普及により、すでに高忠実度な記録はひとつの山に登り切った感じです。
記録の忠実度は、視覚的なものに例えると、ディジタル写真みたいな感じです。

画素数が多い−>分解能が大きい

どちらも必要以上に増えてしまった感じなので、これ以上劇的な向上はないでしょう。
どちらも、記録方式としては、頂点に達してしまった感があります。

しかし残った課題は、記録の手前の部分です。

写真は、構図や光の調整など作品に仕上げるのは簡単ではありません。
被写体が良ければまあそこそこ見られる作品にはなりますが、(ちゃんとした)プロと(私のように研究不十分な)アマチュアとでは相当な差になります。
同じ事は、オーディオ用の録音についても言えるわけで、ホールの音響、マイクロホンの配置、その他の多くの要素によって、全く違う音として記録されてしまうわけです。
スーパーオーディオは、録音の現場とは違う観点で、単に記録方式の技術的優劣を競っているわけです。
記録方式の優劣とは、良く言えば、ハイレベルの比較ですが、悪く言えば、どうでもいいところの比較になります。
もう30年以上前に決められたCDフォーマットでさえ、これ以上ない十分な記録様式と考える人は多いと思います。
それよりも、録音の仕方による差は圧倒的に大きく、1950年台の録音にも素晴らしいものがあれば、新しい録音でも、こりゃだめだ、というものがあります。

絵画の世界でも同様な議論が可能なのだと思います。
絵画の場合は、忠実度で写真を上回るのが難しいので、画家の目を通した理解によって、意味が無限に広がっていきます。
絵画の高忠実度への技工、オーディオの例では、記録方式では、いまは、超絶技巧の絵画もありますが、すでに、16世紀に基本が完成されてしまった感じがします。
それに対して、録音の現場に相当するのが、絵画の表現方法にあたるものだと思います。
日本には、ルーブル美術館のような大きな美術館がなく、古い絵画作品はあまり多くありませんが、印象派以降の作品は、それなりに多いし、企画展で更に多くの作品を見ることができます。
私がいろいろな絵画を見て、印象派以降には、絵画に空気感が加わった、と感じました。
描かれている風景を見て、行ったことがないのに懐かしい感じがする、こういう感覚は、ルーブル美術館などで見た16〜18世紀の名画からは感じませんでした。
忠実度という観点では、16〜18世紀に名画のほうが優れているというか強調されている感じがしますが、空気感や記憶の表現は、印象派の作品のほうが圧倒的に優れていると思います。
描かれた時代が違うので、単純な比較はできませんが、私の素人感覚ではこのように感じます。

オーディオに戻ると、この空気感が、音場再生にあたるのではないかと思います。
いままで音場型を聞いてみて作ってみて、感じるのは、音場表現が豊かなほうが、自分の記憶を呼び覚ます感じがするのです。

音場再生手法は、印象派の手法と似た部分があるみたいです。
オフ会では、私の新しい音場型をプレゼンするので、ぜひ聞きにいらしてくださいね。
お待ちしています。
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by mcap-cr | 2016-12-12 18:25 | 美術 | Trackback | Comments(0)