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工学オーディオに取組むオカルト嫌いです。


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カテゴリ:美術( 17 )

新年3日に、三菱一号館の
に行ってきました。
ロートレックは、ポスター画をアートにした第一人者です。
この特別展は1月8日までなので、気になっていました。

展示会に行って、ロートレックの自転車の作品を見ていて妙に気になる部分がありました。
自転車のチェーンの部分がおかしい。
スプロケットはつるつるで、シンクロベルト(歯付ベルト、タイミングベルト等の呼称もある)を表裏逆に掛けたような図になっています。
古典絵画は、細部にまでこだわり、実際に観察しなければ分からないような絵が多くあります。
たとえば、昨年来日したブリューゲルの『バベルの塔』は、工事の様子まで克明に描かれています。
想像だけでは描けない描写です。
図面を引きながら、作業工程まで考えなかればバベルの塔のような作品はできません。
ところが、ロートレックは、自転車の駆動系をデタラメに描いています。
駆動系は自転車を構成する重要部分ですが、そこを観察せずにテキトーに描く。
エンジニア系の自分にはどうしても許せません。
他の作品もよく見ると同じような描写が多くあります。
踊っている様子...顔は止まっているが、脚が変な方向に上がっています。
動きの一瞬を切り取ってもこうはならないでしょう。
コントラバスの頭の部分も変です。
ここで、弦の張りを調整する部分なのに、全部つながって草のように描いています。

美術作品、ポスター画、こうしたものの評価は素人の自分には分かりませんが、描く対象の重要な部分をデタラメに描くという手法には違和感があります。
いつもは、こういう展覧会では、素人なりに納得するのですが、今回ははじめて、まがい物を見た気分になりました。


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by mcap-cr | 2018-01-03 23:14 | 美術 | Trackback | Comments(0)
12月17日(日)は、気になっていた上野の森美術館で開催の『怖い絵展』に行ってしましました。
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東京駅八重洲口近くのチケットショップにたまたま立ち寄ったら、当日最終日の『怖い絵展』のチケットが1枚100円で売られていました。
そこで2枚購入したら、2枚おまけにくれました。
"BUY 2 GET 2 FREE."なんていう英語のフレーズを思い出しました。
使えないのですけどね。

最終日で、遅く行って入れてもらえないと困るので、午後三時半に自宅を出て、4時前に付くと長蛇の列。
列のいちばん後ろ150分待ちの札を持った係員が立っています。
そこに並んで2時間ちょっと並ぶと中に入れました。
待っている間はひたすら寒いです。
列は少しずつ進み、建物が風よけになりそうな位置まで来てもやっぱり寒い。
入場したら暖かくなりましたが、それでも、体は冷え切っていて温まりませんでした。

人が多すぎて小さな絵は殆ど見えません。
ところどころ見える絵を通り過ぎながら、レディ・ジェーン・グレイの処刑のところにくると、この大きな絵だけはちゃんと見ることが出来ません。
でも、カタカナ英語ってやっぱり変です。
英語を見れば、Lady Jane Grey(ジェーン・グレイ婦人)であることが分かりますが、Ready Jane Gray(処刑の心の準備が出来ているジェーン・グレイ)のほうがカタカナ英語に近いと思います。
実際には、心の準備は出来ていないのですが。
日本人の英語が不得手なのは、カタカナ英語にもあるんじゃないか、なんて思いました。

この絵は、ロンドンのナショナルギャラリーにあって、そこで1回見ていました。
しかし、今回は、テレビの美術番組で、解説を聞いてから来ているので、見るポイントなんかも変わっています。
絵のストーリーは、下克上を目指した父親に女王に仕立てられたが失敗し、数日で処刑された、全く非のない少女の悲劇です。
劇場型の表現で、実際と違う処刑場に描き、背景や登場人物、本人の手の質感、色にも、衣装にも意味を込めて描いています。

今でも、革命を目指す人たちはいますが、果たしてこうなる心の準備は出来ているのでしょうか?
日本だって、刑法の規定を厳格に適用すれば、沖縄で反対運動している輩は、外患罪で死刑に処される可能性もあるはずなんですが。
Lady Jane Greyを見ていて恐ろしいのは、それがあり得ない過去の出来事だと感じることだと思います。
日本は、いま、自民党が外患誘致に対して過度に寛容ですが、過度に不寛容であれば、過激派の連中は、まとめて処刑となってもおかしくありません。
むしろ今外患誘致に励んでいる自称人権派の連中が政権をとったりしたら、Lady Jane Grayのような人が大勢出てしまうでしょう。
文革の歴史が示すように、不寛容な連中が政権をとったら人権なんかなくなってしまいます。
人権をことさら強調する連中は、文革の批判とか、絶対にしないのは何故なんでしょうね?

Lady Jane Greyの悲劇が二度と起こらない社会を作っていくのが大切なことなんだろうと思います。


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by mcap-cr | 2017-12-18 23:24 | 美術 | Trackback | Comments(0)

今週の日曜に、三菱一号館美術館のレオナルド×ミケランジェロ 展を再度見に行きました。

というのは、前回は、ミケランジェロの彫刻が間に合わなかったからです。

前回は、彫刻が間に合わなかったので、そこだけ入場できるチケットを配布していましたが、女房が年間会員なので、会員証で一緒に入り直しました。

デッサン類を再び見ると、また、新鮮でした。

ダ・ヴィンチとミケランジェロのお互いに全然違う主張を掲示してあるのですが、そのどちらも納得できるもので、超一流になってしまえば、何が正しいのかわからなくなってしまうのでしょう。

自然科学以外は...


今回遅れて入荷したのはキリスト像です。

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顔の部分に大理石の黒い色が出てしまったので、中断したとされる作品です。

私の感じるところでは、彫刻の技術は、ギリシャ時代に完成されてしまったので、それ以降は、造形が美しいとか、正確だとか、それ以上に内に秘めることが必要です。

ミケランジェロは、彫刻家として有名ですが、私は画家としてのミケランジェロのほうに魅力を感じます。

彫刻は、三次元コピーのようなところがありますが、絵画は、二次元に嵌めて表現するので、その過程で三次元にできない不完全な部分を補うために、様々なメッセージが入ります。

いわば、彫刻は自然科学の世界、絵画は、自然科学+文学の世界みたいな感じです。

彫刻には、元の造形を完全に破壊してしまったような先品がありますが、ミケランジェロの時代は、正確な造形のなかにメッセージを入れています。

ミケランジェロの彫刻は美しいのですが、絵画のほうをもっと見たいと思いました。


それでも、これほどの作品を見られるなんて得した気分です。


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by mcap-cr | 2017-07-25 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(0)
土曜にアルチンボルド展に行きました。

朝一に滑り込み空いているところを狙おうと思いましたが、既に行列ができていました。
前売り券を買っていなかったら大変なところでした。

アルチンボルドといえば、野菜や魚等全然人物と関係ないものを並べ、遠くから見たときに人物画になるように描きます。
16世紀の画家ですが、シュールレアリズムの創始者のように崇められています。
野菜を使って人物画を描くというだまし絵的な要素だけなら、単にウケ狙いということで終了ですが、何故これほど重要な画家として尊敬されるかというと、それぞれの物体や生物の描写表現が半端ではありません。
動物は動物それぞれが毛並が生々しく描かれ、それぞれに表情があり、部分的に注目して観察してもそれが、人物画であるとは思えません。
それぞれの構成要素(野菜や魚など)には、王を讃える意味があるので、宮廷画家として重用されました。
現在見てもそれぞれの構成要素の深い意味はピンときませんが、描写力については驚くしかありません。
描き始める前の設計段階には相当な時間を要したのでしょう。
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上の絵は自画像ですが、単に自画像というだけではなく、よく見ると、紙の切れ端を使って構成してあります。
本当にシュールレアリズムの元祖なのでしょう。
驚くしかありません。


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by mcap-cr | 2017-07-10 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(0)
日が変わってしまいましたが、昼に、三菱一号館美術館のレオナルド×ミケランジェロ
展に行きました。

本人の作品によるカラーの絵画はありませんでしたが、デッサンを鑑賞することができました。
中に、撮影コーナーがあって、そこで印刷物を撮影することができました。
せっかくなので記念に一枚。
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左が、ダ・ヴィンチ、右がミケランジェロです。
ダ・ヴィンチは身分が低かったので、出身地の地名でこう呼ばれています。
日本も平民に名字が与えられたのは、明治のことですから、イタリアで15世紀に名前がなくても不思議ではありません。
ダ・ヴィンチは、子供の頃から自然が友達で、観察眼を養ったそうです。
ミケランジェロは、日本ではダ・ヴィンチよりも人気は劣るかもしれませんが、システィーナ礼拝堂の天井画などで他を寄せ付けない圧倒的な実績を誇っています。
展示の説明が、いたるところにあって、ミケランジェロとダ・ヴィンチの言葉が短く書いてありました。
日本語の他は英語の表記です。
何で言語で書かないの?
翻訳では、ニュアンスが伝わりにくいかもしれません。
わからなくてもいいから、言語でも書いてほしいな、と思いました。

面白いのは、お互いに嫌いだったらしくて、ケチをつけあっています。
ダ・ヴィンチは、表面を細かく描写するのは、中身を見ていないことだ、というし、ミケランジェロは、ダヴィンチが騎馬像の彫刻を完成させられなかったのは恥だというし、まあ、お互いに実力を認めあっていたということでしょう。
デッサン画を見ると、自分には、ミケランジェロの描写力のほうが短くポイントを突いているように見えました。
ダヴィンチは、なかなか完成させられなかったみたいで、納得するまで完成度を求めるタイプのようです。
自分のような凡人には、ミケランジェロのほうがポイントを突いた天才に思えます。
絵画については、という条件ですが。
ミケランジェロは彫刻が有名ですが、彫刻といえば、もう紀元前から凄い彫刻がたくさんあるので、比較しても、ローマ時代の彫刻と較べて特筆すべきところがどこなのかはピンときません。
それよりも、絵画の凄さが軍を抜いていると思います。
大聖堂の天井画を何年も描き続ける集中力も、常人の想像を超えていると思います。
ダ・ヴィンチは、絵画の技法をあみだしているので、別なタイプの天才なんだろうと思います。
もう少し豊かな時代だったら親友になったんじゃないか、なんて考えながら展示に感心していました。





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by mcap-cr | 2017-07-03 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(0)
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展に行ってきました。


訪れたのは、6月18日(日)開館時間の9:30に合わせて行きましたが既に行列ができていました。
前売り券買っておいて良かったです。それでも並びましたが。

今回の目玉は、ブリューゲルの『バベルの塔』は、他にもあります。
私は、2005年にウィーンで別の作品を見ることができました。
今回のボイマンス美術館の『バベルの塔』は、私が見たものよりも後の作品で、更に進化したものです。

まず、最初は、同時代の他の作品を見てから、ヒエロニムス・ボスの作品が展示されていました。
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はがきを低解像度でスキャンしたので、ぼやけていますが、この作品は極めて細密に描かれており、その解説がありました。
『放浪者』という作品ですが、注意していないと見落としてしまうようなところに細かく描写されています。
いろいろありますが、背中に背負っている荷物に猫の毛皮がぶら下がっているのが気になりました。
どうして猫なんだろうか...
きっと意味があるのでしょう。

他にも素晴らしい作品が目白押しでしたが、バベルの塔については、実作品の他にも説明のための工夫が凝らしてあります。
実際の作品はさほど大きいわけではありません。
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これも低解像度なのでよくわかりませんが、実際の作品がどれくらい細密にできているかは、展示会の中では、これがどれくらいすごいのかわかるように工夫されていました。
塔の中央部分には、人や機械等が細かく描写されています。
それが、拡大されて壁いっぱいに展示されています。
その拡大図を見ても、解像度が足りないと思わせるだけの細かさです。
もうひとつの目玉は3DのCGを見られたことです。
ブリューゲルのすごいところは、この絵を設計図として実際に建造できるくらい正確に描写しているところです。
そのことは、3DのCGを見ると実感できます。
こういうのは、ボイマンス美術館に行っても見られないかもしれません。
こういう企画展示会は、現地でも見られないほどの詳細な説明を見ることができます。

描写力は、観察力なので、この絵を書こうと思ったら、工学知識が必要です。
部材(石等)それぞれの重量はどの程度か、それを揚げるためにはどの程度の巻揚機が必要か、どのような順番で組立てれば、上部構造を支えることができるのか...
バベルの塔は実在するものではないので、観察することさえできません。
それを単に妄想したって描けるわけでなないので、上記のように自分で設計し、建造手順書を作らなければこのような絵を描くことはできません。

いやいや、素晴らしい展覧会でした。


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by mcap-cr | 2017-06-20 00:00 | 美術 | Trackback | Comments(4)
六本木で開催されている大エルミタージュ美術館展に行ってきました。
美術は音楽と似たところ、似てないところがありますが、共通するところは、気持ちを穏やかにしてくれたり、掻き立ててくれたり、心に訴えてくるところでしょう。
エルミタージュ美術館には行ったことがないので、収蔵作品については殆ど知りませんでした。
ポスターを飾るのがクラーナハの渋い聖母子像ということで、有名でない名作が来ているのだろうとか、勝手に邪推していました。
訪れたのは、六本木で、日曜の昼過ぎだったにもかかわらず、運良くあまり混み合っていませんでした。
この前ブログに書いたミューシャ展も、そのときは混んでいませんでしたが、今はかなり混み合っているようです。
こうした展覧会はなるべく早めに行ったほうがいいのかもしれません。

さて、足を踏み入れてみると、自分の知らないすごい作品がずらりと並んでいます。
はいっていきなり、カルロ・ドルチの『聖チェチリア』に目が吸い寄せられました。
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ドルチとい画家は知りませんでしたが、これは単に自分が不勉強なだけでしょう。
美しいです...
そして、ティツィアーノの『羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像』にも目が止まりました。
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このブログのリンクにも紹介している、desire_sanさんのブログを拝見して、ティツィアーノについて少し覚えたので、その魅力を更に感じました。
他にも素晴らしい作品がたくさんありましたが、中でもムリーリョの作品が目に止まります。
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『幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ』は、キリストが特に堂々としていて、ジョヴァンニよりもずっと格上であることがひと目で伝わります。ムリーリョの構図じは、三角形になっているとか言われます。
一緒に行った女房は左下と右上が三角形になっていると言っていましたが、私には、左上と右下で三角形になっているように見えます。
左上は、キリストと天使、右下はジョヴァンニと羊ということで、一線を引いているように感じました。
正しい解釈ではないと思いますが。

そして注目したのは、同じくムリーリョの『受胎告知』です。
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中央の鳩を中心に、右下が聖母マリア、左下が大天使ガブリエレと配置されています。
私が受胎告知で注目するのは、大天使ガブリエレのほうです。
有名な、ダ・ヴィンチの出世作の大天使の羽は、ちょっといびつに見えます(教科書的には、生物学的に良く観察されていることになってます)が、ムリーリョのガブリエレの羽は自然で美しい形をしています。
ガブリエレの顔は、りりしくて美しい、女性のような男性の感じです。
顔は女性っぽいのですが、足は男性であることがよく現れています。
自分の好きな受胎告知のひとつとなりました。

ちょっと脱線しますが、2010年にパリに行ったときに、ルーブル美術館までほぼ毎日通いました。
そこで、毎回必ず立ち止まってしばらくかじりついて見た絵が、グイドー・レーニの『受胎告知』(下の写真)でした。
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ルーブルではフラッシュを炊かなければ写真撮影しても怒られないので、その絵も写していました。
レーニの絵も、注目するのは天使のほうで、美しいけれども恐ろしい美少女のようでした。
羽は飾りのようですが、受胎告知が一大イベントであることが強く感じられる作品だったと思います。

東京にいると、こういう美術館展にすごい作品がたくさんやってきます。
今年に入って見ただけでも、ティッツィアーノ展、シャセリオー展、ミューシャ展、エルミタージュ展と、素晴らしい作品を多く鑑賞できました。

人間の五感の中で、視覚は特に敏感なのだそうです。
目を隠して鼻をつまんだら味は分からないし、目を隠してオーディオの音を聞いても、音の違いは分かりにくかったりします。
音を比較するのでなければ、暗くすると音が大きく細かいところまで聞こえますが、機器の音の差は返ってわからなくなったりします。
それに対して、耳を塞いで、鼻をつまんで見ても、絵は見分けが付きます。
美術はオーディオよりも明確なので本質的議論ができそうですね。




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by mcap-cr | 2017-03-27 21:52 | 美術 | Trackback(1) | Comments(0)

スラブ叙事詩

いま、国立新美術館でミュシャ展を開催中です。
恐ろしく混み合うことが予想されたので、昨日の午後、早速見に行ってきました。
その中でもスラブ叙事詩が目玉です。
チェコ国外で全て公開されたのは初ということです。
巨大な作品で、これら20点を展示するだけでも、10日間かかったそうです。
ありがたいことに、一部、撮影許可されているところがあり、スマホで撮影している人が他にもいました。
普通は美術品撮影は不可なので、係の人に、本物かどうか、思わず聞いてしまいました。
紛れもなく本物で、所蔵の美術館の好意で一部だけ撮影しても良いことになったそうです。
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撮影許可区域は、こんな感じですが、もっと大きな作品があります。
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ミュシャといえば、パリ時代に描いた、サラ・ベルナールのポスター画の印象が強いですが、本人は、それで良しとするつもりはなかったらしく、最後は祖国のチェコに帰って、スラブ叙事詩に取り組みました。
スラブ叙事詩は、全部で20枚あります。
この20枚が一つの作品を構成しています。
スラブ民族の連帯を強調しており、優しい農耕民族が、凶暴な民族に侵害されていくところから始まります。
最後は、栄光で終わるのですが、制作当時は、第一次大戦の時代でもあり、また、キュビズムの台頭に押されて時代遅れの扱いを受けたそうです。
そして、最後はナチスに捕まり、開放された後、亡くなってしまいました。
この作品を見られたのは、借用してきた美術館のお陰で、運がいいとしか言いようがありません。
現地でも見られないかもしれない作品を、こんな遠くまで貸してくれた美術館にも感謝しなければなりません。
私の知識では、語ることもできませんが、これを読んだ方は是非とも見てみてください。
同じ美術館で同時に開催していた草間やよいのほうが混んでいたのはなぜかわかりませんが、これを見ると、ミュシャの印象が変わると思います。
私もこの作品を見るまでは、ミュシャは、ロートレックと同じようなデザイン画家だと思っていました。
スラブ叙事詩は、各作品がオペラの1場面のようになっています。
スラブ叙事詩を見ながら、いろいろな音楽が頭の中を去来する感じがしました。
だれか、この話をオペラにしてくれないかな。

日本に住んでいると、民族を意識することはあまりありませんが、ヨーロッパのように陸続きだと、たとえ平和な暮らしをしていても、凶暴な隣人に略奪されることが普通にありました。
それで民族の連帯を訴え、ミュシャはこのような作品を残しました。

時代が変わり、今は、陸続きでなくても凶暴な民族には襲われる危険性があります。
スラブ叙事詩の第一の作品のように、穏やかな民族も穏やかなだけでは侵略の危機に怯えなければならないということでしょう。




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by mcap-cr | 2017-03-11 14:57 | 美術 | Trackback | Comments(0)
いま、国立西洋美術館でシャセリオー展をやっています。
こういう展覧会に行って思うことは、やっぱり自分はド素人の中のド素人なんだな、ということです。
良く言えば正統的なド素人かもしれません。
シャセリオーは、19世紀の画家ですが、この展覧会の切符を買うまでは知りませんでした。
しかし、実際に作品を見てたまげました。
有名な画家はたくさんいますが、その中でも群を抜いて凄い人なんではないかと思います。
シャセリオーは、アングルの弟子だったそうです。
作品を見ると、新古典主義の大家のアングルの影響が見て取れます。
しかし、アングルが不在のときに、アングルとは意見が対立していたといわれるドラクロワとも親交を持ってしまったそうです。
そして、作品の中にも、ドラクロワの影響も強く現れています。
こういう展覧会に行くと、気になった作品の絵葉書を購入していますが、絵葉書には残念ながら自分が、そう感じたものはありませんでしたが、一つの作品の中に、アングルとドラクロワが共存していると感じさせる作品もありました。
特に、デッサンでは、人物はアングルのような緻密な表現、人物以外はドラクロワのような勢いの良い線で描かれたものが展示されていました。
個人的に凄いと思ったのが、スペイン人の画家の作品を模写したこの作品です。
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これではよく分かりませんが、肌の色、顔の表情など本物は実に美しいです。
有名な画家は大抵模写作品も残していますが、たいていは、元の作品に模写した画家の個性が感じられますが、これは、シャセリオー自身の個性が分かりません。
元の画家の作品そのままか、あるいは、それを超えているのではないか、と感じさせました。
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この自画像は、16歳のときの作品だそうですが、美しいと思います。
左上のパレットに、シャセリオーの想いが込められていると思います。
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今回のメインはこの作品のようです。
なんか、このモデルの個性がすごく伝わってきます。
衣類など細部の表現も見事です。

シャセリオーは、病弱だったそうで、37歳で他界してしまいます。
最後には、アングルとも仲違いしてしまったそうですが、作品を見ていると、アングルが弟子に超えられた僻みがあったのではないかと思います。

シャセリオーの作品は、ルーブルにもあったので、おそらく見ていたはずですが、そのときはこの凄さに気が付きませんでした。
埋もれてしまっている大家の作品をまとめて見られるのは、東京に住んでいるからかもしれません。




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by mcap-cr | 2017-03-05 16:08 | 美術 | Trackback | Comments(2)
ティツィアーノとヴェネツィア派展に行ってきました。私は、絵画史の中では、ヴェネツィア派が特に好きで、中でもティントレットが好きです。
今回は、ティントレットの作品も来ていましたが、そこそこの出来栄えの作品で、ハガキも売っていませんでした。
ティントレットは、サン・ロッコ信徒会に行かなければ最高の作品を味わうのは難しいだろうと思いますが、ティツィアーノは、本気感みなぎる作品もときどきやってきます。
わざわざ本気感と書いたのは、ティツィアーノの工房の作品の多くは、あまり本気感が伝わらないものが目に付くからです。
私が、そういう作品を見分ける能力があるとは思いませんが、自分の好き嫌いがはっきりしているので、すごいと思えばすごいし、そうでもないと思えばそうでもなく感じます。
今回気になったのは、
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の二点でした。
特に右の作品、フローラは、線は繊細で、描写は細かく、肌の質感も素晴らしい、まさしく女神という感じでした。
左は、マグダラのマリアで、罪深い過去を背負ったマグダラのマリアの苦悩が絵の中に込められています。
フローラとは違い、描写はさほど細かくなく、ずっと後の印象派を先取りした感じの表現です。
その中に、画家が移入した感情がたっぷりと込められていました。

ヴェrネーゼの作品もいくつかありましたが、中でも『聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者ヨハネ』は、目を止める作品でした。
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こうした宗教画は、聖書の中の話に基く想像の世界ですが、この絵を見る人に、まさしくそうであった、と思わせる、完璧な描写です。
絵画は音楽とは違って、媒介者(演奏者)を挟まず、作品と直接対峙できるので、何の知識がなくても心のなかで作者と直接対話できるのが魅力です。
音楽の場合は、楽譜が読めないと、演奏家に聞かせてもらうしかありませんから、美術作品について専門家の解説を聴いて心のなかで期待をふくらませるような感じです。
これはこれで素晴らしいので、比較するのは野暮ですが、音楽だけではなく、美術も心の保養になるものだと思います。

お好きな方にはお勧めします。
文化会館のコンサートにかけて訪れるのもいいでしょう。
上野はそういう魅力のある街です。




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by mcap-cr | 2017-02-26 19:06 | 美術 | Trackback | Comments(2)