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工学オーディオに取組むオカルト嫌いです。


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スラブ叙事詩

いま、国立新美術館でミュシャ展を開催中です。
恐ろしく混み合うことが予想されたので、昨日の午後、早速見に行ってきました。
その中でもスラブ叙事詩が目玉です。
チェコ国外で全て公開されたのは初ということです。
巨大な作品で、これら20点を展示するだけでも、10日間かかったそうです。
ありがたいことに、一部、撮影許可されているところがあり、スマホで撮影している人が他にもいました。
普通は美術品撮影は不可なので、係の人に、本物かどうか、思わず聞いてしまいました。
紛れもなく本物で、所蔵の美術館の好意で一部だけ撮影しても良いことになったそうです。
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撮影許可区域は、こんな感じですが、もっと大きな作品があります。
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ミュシャといえば、パリ時代に描いた、サラ・ベルナールのポスター画の印象が強いですが、本人は、それで良しとするつもりはなかったらしく、最後は祖国のチェコに帰って、スラブ叙事詩に取り組みました。
スラブ叙事詩は、全部で20枚あります。
この20枚が一つの作品を構成しています。
スラブ民族の連帯を強調しており、優しい農耕民族が、凶暴な民族に侵害されていくところから始まります。
最後は、栄光で終わるのですが、制作当時は、第一次大戦の時代でもあり、また、キュビズムの台頭に押されて時代遅れの扱いを受けたそうです。
そして、最後はナチスに捕まり、開放された後、亡くなってしまいました。
この作品を見られたのは、借用してきた美術館のお陰で、運がいいとしか言いようがありません。
現地でも見られないかもしれない作品を、こんな遠くまで貸してくれた美術館にも感謝しなければなりません。
私の知識では、語ることもできませんが、これを読んだ方は是非とも見てみてください。
同じ美術館で同時に開催していた草間やよいのほうが混んでいたのはなぜかわかりませんが、これを見ると、ミュシャの印象が変わると思います。
私もこの作品を見るまでは、ミュシャは、ロートレックと同じようなデザイン画家だと思っていました。
スラブ叙事詩は、各作品がオペラの1場面のようになっています。
スラブ叙事詩を見ながら、いろいろな音楽が頭の中を去来する感じがしました。
だれか、この話をオペラにしてくれないかな。

日本に住んでいると、民族を意識することはあまりありませんが、ヨーロッパのように陸続きだと、たとえ平和な暮らしをしていても、凶暴な隣人に略奪されることが普通にありました。
それで民族の連帯を訴え、ミュシャはこのような作品を残しました。

時代が変わり、今は、陸続きでなくても凶暴な民族には襲われる危険性があります。
スラブ叙事詩の第一の作品のように、穏やかな民族も穏やかなだけでは侵略の危機に怯えなければならないということでしょう。




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by mcap-cr | 2017-03-11 14:57 | 美術 | Trackback | Comments(0)

メディアの違いって?

ハイレゾソースの音の違いについての記事を数日前に書きました。
そこに紹介している
をもう一度読んでみました。
オーディオの掲示板が荒れる理由がよく分かったような気がしました。

まず、細かいことにこだわるオーディオマニアの多く(ほぼ全員か?)は、自作をしたことがないと思います。
自作しないのにはいくつか理由があると思います。
(1)権威に絶対的に従う傾向がある
そりゃ専門家がいいというものはいいことが多いでしょう。
しかし、その専門家の意見を科学的に検証するのはたいせつなことです。
お隣の国では、太平洋戦争の終戦の後、日本が朝鮮と戦争したことになっているそうです。
しかも、朝鮮戦争という史実はなかったことになっている。
教科書にそう書いてあるから無条件に信じる、ま、それはそうでしょうが、後から教科書の間違いを発見する機会はいくらでもあるはずで、それをしない(できない)のは何かが間違っている証拠です。
そりゃ話も合わないでしょう。
(2)電気回路も物理も分からない
そうではないと信じたいですが、案外多いでしょう。
私も、自作を始めてから知ったことは多いです。
というか自作する前のオーディオって一体何だったんだろう?と思います。

自作は、コストがかかって無駄が多いですが、そこで得られる知識と経験は、お金に代えがたいものがあります。

それと、上記の掲示板の意見の中に、全く違うものを比べている意見が散見されました。
たとえば、SACD/CDハイブリッド盤のそれぞれの違いなんていうのがそれにあたります。
そりゃメーカーとしては、違う音にして売りますよね。
あまりに違うのは、何か手を加えている証拠でしょう。

また、古いCDソフトをを持ち出して音が違う、という人もいました。
これは私にも経験があります。
CD出たての頃は、アナログディスクしか比較するものがなかったので、同じ録音からCDになったものとLPになったものを比較しました。
厳密な比較ではないですが、CD/LPと似たような音のもの、LPのほうが圧倒的に良いと思うものがありました。
CDの売りは、ノイズが小さいことだったので、無理やりノイズを減らしたのでしょう。
同じ録音のCDの輸入盤を聴いたら、LPと同じような音でした。
こういう差は、ノーマルCDとハイレゾとのメディアの差ではなく、リマスタリングの差なので、比較しても無意味です。
デジタル録音になってからも、マスター録音の仕様が違っていたりするそうなので、リマスタリングのアルゴリズムが違うと音が変わります。
最近は、リマスタリングのアルゴリズムが完成してきたので、CDでもSACDでも音の違いが無くなってきたのだと思います。

何度も書いてきたのですが、録音という伝達関数のなかで最も差の大きな要素が、録音時の空間伝達関数なので、それ以外は誤差範囲と思います。
マルチトラックで、ミキシングして音作りするようなソフトでは、全然違う音にすることが可能です。
そういう差を、CDとSACDで使い分けているなんていうのもあるのかもしれません。

まあ、音工房Zさんのレポートを読むと、もはや、現場録音後の製品用フォーマットとしては、CDで限界に達しているのかな、と感じます。

私は細かいこと気にするよりは、音楽会に足を運ぶほうが良さそうです。

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by mcap-cr | 2017-03-09 22:54 | オーディオ一般 | Trackback | Comments(0)
今朝、NHKだったかのニュースを見たら、例の森友学園問題について報じていました。
今回は、蓮舫の質問についての報道でしたが、その中で気付いたのは、いままでは、
厳しく』追求しました
だったのが、
厳しい口調で
に変わったことでした。
こういう用語の使い分けは、問題意識を持って聞かないと分かりません。
両者の何が違うのか考えてみると、
『厳しく』は、追求される側に非があり、追求する側の正義を印象付けます。
これに対して、『厳しい口調で』となると、印象付けしたい気持ちはにじみ出ていますが、口調は厳しかったのだが、ただのイチャモンだったのだなと感じます。
追求する側を正義のスーパーヒーロー、追求される側を悪の枢機卿とするマスコミの演出もネタが尽きたことを印象づけました。
実際、森友学園の件は、首相には全く関係無い話で、国会で議論するほどの問題ではありません。
問題にするのなら、官僚の、仕事の仕方でしょう。
『自分のカネじゃないからどうでもいいよお~』という感覚が透けて見えます。
むしろ、『汚職認定されなければ何でもいいのかよ!』と官僚の姿勢を正してゆくべきでしょう。
そうすれば、政権与党も反対しないし...おっと、反対するのが某野党の目的か。

捏造報道の自由なんてないはずですが、こういうのを報道犯罪と呼ぼうという動きもあるので、これから、皆が正していかなければならないのでしょう。

こういうのに比べるとオーディオジャーナリズムは罪が軽いなあ。


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by mcap-cr | 2017-03-07 22:36 | 政治 | Trackback | Comments(0)

『理解できません!』

先日、国会中継の動画をインターネットで見ていました。
そこでは、大阪の森友学園に国有地を実勢価格より安く売ったのがどーだの、という質問を福島みずほがやっていました。
福島瑞穂は、いろいろと細かなことを質問するのですが、官僚の答弁は、『それは契約に御座いませんからしておりません』というような回答を出します。
そこで、福島みずほは、あーだこーだとさんざん言いがかりを付けて最後に締めくくるのが、『理解できません!』という一言です。

まず、官僚が、定型句で回答する理由は、決まったことしかやっていないためで、義務がないからやらない、とそれだけのことです。
それが、いいことか悪いことかは別にして、官僚はやらなければならないこと以外やらないことに徹底しています。
本件は、最初に森友学園に販売したときは、もっと高い価格だったのが、調査をしたら、云われていたよりも多くのゴミが出てきたので、瑕疵担保条項に基いて再調査を要求したところ、予算がないので、土地そのものを値引きするという形で国側が幕引きを図ったということのようです。
その程度の話なので、いくらほじくり返してもそれ以上の情報が出るはずもなく、同じ答弁を何度も繰り返すという時間の無駄遣い審議になっています。
時間の無駄遣いになったというよりも、共謀罪の審議をさせない目的での妨害なのでしょう。

で、福島みずほの話の戻ると、この『理解できません!』を何度も何度も延々と続けるわけです。
『おまえ弁護士だろ~。そんなこと分かってないのかよ~。』とうんざりしながら聞かざるを得ない訳で、議員も、サヨク系以外はさぞかしうんざりしていることでしょう。
そこで、締め括りに『理解できません!』。
理解できない理由は何だ?って対面で質問してみたいです。
本当は分かっているのに、政権を追い詰めるという架空の構図をでっち上げるためのポーズに過ぎないのですが、マスコミも脳味噌がXXXくらいしかないようで、これで騙せると思っているようです。
いまどき情報弱者しか、そんなのに騙されませんが。
本当に追い詰めたいのなら急所を突けばよく、急所が見つからないのなら、別な素材を見付けるというのが普通の手法ですが、マスコミを抱き込んで架空の構図を作り上げることの成功体験が、彼らの成長を止めているのでしょう。
成長を止めているというよりも、思考停止した人たちに伸び代は全く無さそうですが。

というのはさておいて、ハイエンドオーディオも同じようなもので、品質をハイエンドに結び付けるためのコストはほんのちょっとで、架空のハイエンドを創造するための宣伝費やオーバースペック投資のほうが大きいように感じます。
若い頃に、オーディオマニアのところでいい音を聞いた経験をよくよく思い出すと、皆部屋がちゃんとしていました。
オーディオ用に造り込んだかどうかは別として、空間は確保されていました。
その頃と今とではローエンド機器の性能が全く違う訳で、現在の高性能ローエンド機器をちゃんとした空間で使用すれば、驚くほどの音が出ます。
オーディオ装置の中で、本物のハイエンドに貢献する機器は、スピーカーシステムくらいのもので、その他は、アンプがちょっと、それ以外は、目を瞑って聴けば分からないレベルでしょう。
そういう分かりやすい差があるものを置いておいて、プレーヤーやケーブル等のアクセサリ類に投資するのって一体どうなんでしょう。
『理解できません!』って、こういうときに使う言葉じゃないのかなあ?


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by mcap-cr | 2017-03-06 21:26 | オーディオ一般 | Trackback | Comments(0)
いま、国立西洋美術館でシャセリオー展をやっています。
こういう展覧会に行って思うことは、やっぱり自分はド素人の中のド素人なんだな、ということです。
良く言えば正統的なド素人かもしれません。
シャセリオーは、19世紀の画家ですが、この展覧会の切符を買うまでは知りませんでした。
しかし、実際に作品を見てたまげました。
有名な画家はたくさんいますが、その中でも群を抜いて凄い人なんではないかと思います。
シャセリオーは、アングルの弟子だったそうです。
作品を見ると、新古典主義の大家のアングルの影響が見て取れます。
しかし、アングルが不在のときに、アングルとは意見が対立していたといわれるドラクロワとも親交を持ってしまったそうです。
そして、作品の中にも、ドラクロワの影響も強く現れています。
こういう展覧会に行くと、気になった作品の絵葉書を購入していますが、絵葉書には残念ながら自分が、そう感じたものはありませんでしたが、一つの作品の中に、アングルとドラクロワが共存していると感じさせる作品もありました。
特に、デッサンでは、人物はアングルのような緻密な表現、人物以外はドラクロワのような勢いの良い線で描かれたものが展示されていました。
個人的に凄いと思ったのが、スペイン人の画家の作品を模写したこの作品です。
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これではよく分かりませんが、肌の色、顔の表情など本物は実に美しいです。
有名な画家は大抵模写作品も残していますが、たいていは、元の作品に模写した画家の個性が感じられますが、これは、シャセリオー自身の個性が分かりません。
元の画家の作品そのままか、あるいは、それを超えているのではないか、と感じさせました。
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この自画像は、16歳のときの作品だそうですが、美しいと思います。
左上のパレットに、シャセリオーの想いが込められていると思います。
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今回のメインはこの作品のようです。
なんか、このモデルの個性がすごく伝わってきます。
衣類など細部の表現も見事です。

シャセリオーは、病弱だったそうで、37歳で他界してしまいます。
最後には、アングルとも仲違いしてしまったそうですが、作品を見ていると、アングルが弟子に超えられた僻みがあったのではないかと思います。

シャセリオーの作品は、ルーブルにもあったので、おそらく見ていたはずですが、そのときはこの凄さに気が付きませんでした。
埋もれてしまっている大家の作品をまとめて見られるのは、東京に住んでいるからかもしれません。




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by mcap-cr | 2017-03-05 16:08 | 美術 | Trackback | Comments(2)
歴史を築いてきた築地市場が無くなるのは寂しいですが、老朽化が激しく既に役割を終えてしまったと思います。
そこで移転は已む無いことでしょう。
豊洲がベストだったかどうかはわかりませんが、既に出来てしまったものをいまさら引き伸ばすのは、正しい手法とは思えません。
ここに来て、科学的に間違ったアプローチが明確になって来ました。

溜まったものを処理して捨てるだけの地下水の水質をモニターするのは必要なことですが、モニターすべきなのは、処理前後の水質で、重要なのは処理後の水質です。
それが、あたかも処理前の水質が飲料水レベルでなければ衛生上の問題が発生するかのような報道が為されています。
これは、報道各社が馬鹿であるのと、政局化を悪巧みしているとの両方の要素があり、悪質なので、排除してゆくべき話です。
知事側も、報道を利用している感があり、正しい手法をとっているとは思えません。
元々、豊洲の地下水は、飲料水レベルに近い品質なのですが、基準値を超えたとか何とか騒ぐことが手段となり政局化されてしまいました。

そこに来て今回明確になったのは、水質検査が科学的に正しい手法をとっていなかったということです。
報道がどの程度正確なのかは不明ですが、新しい分析の結果は、溜まっていた地下水を分析したということです。
それ以前は、溜まっていた地下水を除去して、新しく湧いてきた水を分析していたそうです。
溜まっていた水は、元が地下水であっても、そこに、新たな物質が加わるので、それを分析しても地下水を分析したことにはなりません。
全然違う結果が出るのは当然のことです。
ベンゼンが79倍検出されたとか、何か違うことをやっているとは思っていましたが、これほどお粗末とは思っていませんでした。
しかし、元々都が実施していた分析も完全ではありません。

試験所の能力に関する国際規格は、ISO 17025です。
IS17025に適合している試験所の分析結果は、世界中で、正しい分析結果として主張することができます。
ところが、都が選定していた試験所は、ISO17025認定の試験所ではありませんでした。
ISO17025の要求事項を大雑把に表現すると、国際基準に対してトレーサビリティーがあるということなのですが、トレーサビリティーについて、ちゃんと理解している人はほとんどいないと思います。
トレーサビリティーの要件はトレーサブルと認められた手順で実施していることなのですが、その要件は、重要なのは概ね次の通りです。
  1. 国際基準(国家基準は国際基準にトレーサブルとされます)にトレーサブルな基準器を使用していること。
  2. 試験、検査、検証手順が正当なものであると認められること。たとえば、JISxxxxに準拠している等です。ただし、JISxxxxやISOxxxのような標準書は、規範を示しているだけで、そのまま実施することができないので、不完全な部分を補筆したり、実施可能な手順に書き直すことが必要です。
  3. 手順書に従って教育された作業者が作業していること。
  4. 結果の不確かさが数値として算定されていること。
この他にも、クレーム対応の手順書や記録システムがあるとか、最新の手順書を保持しているとか、いろいろな要求がありますが、特に重要なのは、上記の4点と思います。
トレーサビリティーについては、上記の1だけが要件と理解している人が多いですが、実際には、少なくとも2〜4がなければ、ISO17025認定のラボとはなりません。
今回の都の例を見ると、都の担当者は、全く理解していないので、必要な技術基準に対する欠格者であったと考えられます。
また、試験所側も、サンプル採取法に対して正しく助言していなかったと疑われ、ISO17025認定試験所であれば処分を受けるレベルです。

ちなみに、試験所にお墨付きを与えるISO17025の認定機関は、かなりの数があり、日本国内でも、IA Japan(産総研)やJAB(民間)等があります。
また、米国では、NVLAP(NISTの一部)やA2LA(民間)等があります。
ISO17025準拠は、試験所が自分で名乗ることも認められていますが、これら認定機関が認定した場合には、その機関のロゴ付きの検証報告書が発行されます。
ただし、認定には認定される範囲が明示されているので、そこから外れた試験には、ロゴを付けることができないとか、一歩踏み誤ると認定取り消しになるので、認定試験所はそれだけ維持が大変だということです。

政局化のために、正しい手続きを無視するってどうなのよ、ということです。
ますますマスコミ不信、政治不信が続くな、と思います。


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by mcap-cr | 2017-03-05 10:01 | 科学 | Trackback | Comments(2)

ハイレゾソースの音

このところ、ケーブルの違いについていろいろと、オーディオマニアに嫌われることを書いてきました。
10人の人が同時に喋っているのを聞き分けられたという聖徳太子のような超人ならともかく、普通の人には聴き分け不可能な差を追求するのがオーディオマニアのように思います。
いろいろと嫌味を書くのも憚られるのですが、最近は、スピーカーを除くオーディオ機器の聴き分けは極めて難しいという仮説を支持しています。

と、大山さんのメールマガジンを読んだら、ハイレゾソースとCDとの聴き分けが可能かどうかブラインドテストをやった結果が書いてありました。
こういうの好きです。
正体を明かした状態では、音に違いがあると思っていても、いざ、正体を隠して試してみると分からないということだったようです。
ただ、ハイレゾソースとCDとの聴き分けは、条件が整えば判別可能になると思います。
その場合、私の考える条件は、ダイナミックレンジの違いが分かるように録音したソースだということです。
周波数レンジだけを拡げるハイレゾはないと思いますが、あったとしてもそれだけでは、聴き分けは難しいのではないかと思います。
そもそも10kHz以上なんて殆ど聞こえていないし、ましてや20kHz以上なんて違いが分かるとは思えません。
ですから、ダイナミックレンジを拡げたハイレゾならCDとの聴き分けが可能なのではないかと思います。
ただし、音量を揃えるという条件はクリアできませんが。→結局、音量差を聴き分けるだけという仮説なだけでした...

上記のイベントでは、統計的な有為差なし、という結論でしたが、これでもまだ検体は不十分なんだろうと思います。
ひとりだけ惜しい人がいたということでしたが、例えば、その方がもう一問正解して、有意差あり、となったとしたら、結論が厄介です。
試行は20回で、最高の方が正解14だったということで、これが15であれば、その検定では有為差あり、となるそうですが、しかし、その場合に、有為差があったのか?と問われれば、これには疑問符が付きます。
というのは、この試験において分かったことは、全員が聴き分けの有為差がないと判定されたというだけで、受検者を増やせば、当然、有為差のある人が出てきます。
というのは、15/20正解するだけで有為差が出るのですから、たまには当たるレベルです。
この場合は、A/Bの聴き分けで、Aが11回、Bが9回だったので、全部Aと答えればそれだけで正解11となり、あと4つ当たれば有為差あり、になってしまいます。
ということは、同じ手法で有為差あり、とするには、被験者全体のうち有為差ありと判定される人が、有意差ありとされる人数いなければ、常人には有意差なしと判定するべきでしょう。
ただし、何度やっても有為差ありの結果を出せる人がいれば、その人は常人より能力が高いと判定すべきでしょう。
こういう試験をするのは、時間と手間と費用が大きいので、実際には無理でしょう。

と、同じメルマガの中で面白いリンクが紹介されていました。

『SACDと普通のCDの音質差は人間には判別不可能』

このリンクを読むと分かるのは、違いがある派が、必死過ぎることです。
違いがあるのだったら、試験やって結果を紹介すればいいだけの話なんですが、違いがある派は、決してそうしません。
なぜなんでしょうね〜。
挙句の果てに、分かる人だけわかればいいんだ、みたいな結論だったりして、結構笑えます。
私には、新興宗教みたいにしか見えないんですが。

これらの試験結果を見て思ったことは、
CDの規格は必要十分なものだった
ということです。
もう30年以上前の規格なのですが、デジタル化がどんどん進んでもこれだけの長期間に亘って通用する規格なんてなかなかあるものではありません。
この規格を考えた人は偉人だと思います。




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by mcap-cr | 2017-03-04 16:08 | オーディオ一般 | Trackback | Comments(0)

オフ会会場の音

昨日の記事で紹介しましたとおり、2017年のオフ会の会場として中野ゼロをM-TKさんに確保して頂きました。
M-TKさん、どうも有難うございました。
スピーカー再生技術研究会は、資金のないアマチュアの会なので、同じ開場がいつも確保できる訳ではありません。
地方だったら会場も確保しやすいのですが、東京では、公的な会場数の割に人口が多いので、大抵は抽選になります。
抽選しないで使用できる場合もありますが、駐車場の確保ができなかったりして、問題も少なくありません。
そんななかで、中野ゼロは、適度に広く、また、会場の中の席を変えてもそんなに音場感が変わらない、くせの少ないホールです
私は、オフ会のときは、席を移動しながら音響効果を確かめるようにしています。
そうしないと、作品の評価ができないからです。
会場は、適度に響きがあるのが望ましく、会場そのものに響きがあっても、参加者数が多いと吸音されて音がまったく変わってしまいます。
そうした裏事情を考慮せずに定位置で評価すると、何の評価をしているのかまったく分からなくなり、スピーカー再生、という本質がノイズに埋もれてしまいます
いろいろなオフ会に参加する機会のある方は、ぜひとも席を移動してみてください。
考えてみれば、コンサートホールの席が価格で違うように、オフ会のホールの席も重要です。

それと、面白いのが機材の差で、高級アンプを使えば万能という訳ではないことが、前回のオフ会で分かりました。
高級アンプだからOK、という訳ではないようです、いつも使っているM-TKさんのマランツのプリメインはかなりの優れものだと思います。
むしろ、普及品のほうが癖がなくて良いのかもしれません。

それと、自分だけでなく、スピーカー再生技術研究会で発表される方は、ケーブル類にはあまり気を遣わない人が多いようです。
ケーブルでそんなに変わるのならスピーカーシステムの差も分からなくなってしまうのかもしれません。

最近は、音を決めるNO1が部屋で、NO2がスピーカーシステムだと思うようになりました。
次はアンプかなあ。これは普及品で十分ですが。
プレーヤー類やHDオーディオの差は、元のソースが同じだと分かりにくいと思います。


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by mcap-cr | 2017-03-03 21:43 | オフ会 | Trackback | Comments(0)
スピーカー再生技術研究会の2017年オフ会会場は、9月に中野ゼロが確保できたようです。
おめでとうございます。
M-TKさん、どうも有難うございました。
また、中野ゼロに戻れそうです。



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by mcap-cr | 2017-03-02 22:19 | オフ会 | Trackback | Comments(0)