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必要な無駄

今日もまた千葉でゴミ捨てです。
貧乏で自動車持ってないので面倒でかないません。

先日、無駄が必要であるということをブログに書いたところ、コメントを頂きました。
『無駄が必要=世の中に無駄なんて無い、てっことですかね。』
これを読んで考えてしまいました。
というのは、自分がやっていることは無駄だらけで、やっている本人が無駄の塊であると思っているのに、『世の中に無駄はない』と言い切ってしまうと、自分が無駄と思っていることも肯定しなければなりません。
自己矛盾に満ちた展開になってきました。
確かに無駄は絶対に必要です。
しかし全部の無駄が必要なのかと問われると、そうだ、とは言いにくいです。
では、その無駄の、要/不要を決めるのは誰か?その絶対基準は?と問われると、よほどの尊大な人間にならなければ答えられないと思います。

全知全能の神であれば答えられるでしょうが、果たして、全知全能の神は存在するのでしょうか?

ものすごく哲学的な命題になってきました。

素人考えですが、生物学的にマクロの目で見るとすると、きっとすべての行動に理由があるのだと思います。
たとえば、80/20の法則では、蟻の80%は働かないそうですが、働いていない蟻を分離して働いている蟻だけを残してもその80%は働かないそうです。
逆に働く蟻を分離してしまうと、働かなかった蟻の20%が働くのだとか。
蟻の働きには無駄がないということなのでしょう。
人間の場合はどうなのか?
人間も全体の20%の人間が会社を支えているとかいわれたりするようです。
残りは給料分の仕事をせず、ほとんど無駄なようです。
営業なんかを見ていると、担当の人数分売れる訳ではなく、よく売る人がほとんど売ってしまうように見えます。
人間の場合には、ほぼ何もしない人はごく少数ですが、給料分の働きが出来ない人はきっと80%くらいいるのでしょう。
自分も耳が痛いですが。

では、人間に80/20の法則を当てはめられるのか?
マルクス主義はあてはまらなかったのではないかと思います。
実際に共産主義を実装した国家は、国力がどんどん落ちて結局崩壊してしまいました。
まだわずかに残っていますが、完全な共産主義ではないようです。
これをどう解釈するかというと、人間は楽を好む生物なのではないか、ということです。
共産主義になって、仕事の出来不出来にかかわらず待遇が変わらなければ、楽なほうにシフトしていく。
すなわち働かない人が本当に働かないのではないかという仮説を立てられると思います。
80/20が99/1とかになってしまうともう完全に崩壊します。
社会システムにかかわらずに80/20が成り立つのであれば、共産主義はイケているのかもしれません。
むしろ共産主義のほうがいいでしょう。
しかし、これが90/10、95/5とどんどん楽な方向に流れてしまえば国力が落ちて成り立たなくなるでしょう。
共産主義の崩壊はこういうことだったのかな?

必要な無駄についての議論に戻ると、自分のまわりは無駄だらけです。
(1) 時間があってもダラダラしている。
(2) 使わない資材が部屋に積み重なっている。
.....
(1)については、個人的には恥ずかしいですが、こういうダラダラがないと、世の中窮屈になっていくのかもしれません。
(2)については、無駄なものを買うお陰で経済が回っているのかもしれません。

会社なんかでは経費を減らそうと締め上げますが、個人事業だと、儲け過ぎて税金をたくさん取られてもしょうがないので、必要なものはどんどん買います。
個人事業が増えたら、経済が良くなるかもしれません。
会社組織なんかでは、今は、利益の内部留保を増やしていますが、やめてしまえば、その分経費や人件費への支出が増えます。
特に人件費は重要で、人件費は無駄だと考えて使い捨て人材を海外から調達しようとか考えている経営者がいますが、そんなことするから、社会にお金が回らなくなって、結果的に自分の会社の成績も上がりません。
無駄だ無駄だと大騒ぎするデフレ志向の経営者が世の中をダメにしているのかもしれません。

結局、不要な無駄って何なんでしょう?


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Commented at 2019-01-19 20:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hiro-osawa at 2019-01-20 01:34
哲学の話みたいですね
自分の考えは、必要なことをちゃんとやろうとするほど、結果、無駄は生じてしまうと思っています
熟練するほど、繰り返し似たことの経験豊富になるほど無駄は少なくできるようになりますがゼロにはできません
ベテランになったので無駄を完全駆逐して完成しようとすると、結果の完成度が落ちます
またそれ以降の進展、新しい展開は無くなります
無駄ゼロの完璧経営の会社は将来性なし、無駄が将来への努力と模索から生じたものなら良い将来展望が開けるでしょう
Commented by mcap-cr at 2019-01-20 08:44
> muukuさん
こういうことを考えてみると興味深いですね。
『無駄』という用語には『不要』という意味を含んでいると思いますが、ご指摘のように無駄といわれるものが実は、必要な余裕や設計上の遊びだったりするのでしょうね。
Commented by mcap-cr at 2019-01-20 08:49
> hiro-osawaさん
確かに哲学の話ですね。
無駄は減らせるがゼロにはできない、また、これ以上減らせないところが最高の作品であるというのも納得できます。
無駄ゼロの完璧経営を目指す会社は、私も将来性ゼロだと思います。
適度な無駄があって、従業員に逃げ道を作らないと、辞めたり病気になったり告発されたりで、むしろ損失のリスクが高まるのだと思います。
Commented by uta at 2019-01-20 09:07 x
世間的な無駄に対してのイメージは悪い言葉だと思います
人は無駄を廃して怠惰を貪る為に成長してきた部分を内包していて
人が得られる知識の平均値は今も昔も変わっていない、とすると
便利さや無駄を廃していく社会は成長のために必然とも取れるように感じます
経営者に必要なのは世間的な無駄(価値観)に振り回されず将来を見据えた、現実的な手立てを当てていくことだと思います

個人の範囲としては神の判断の成否を決めるのも人の感覚ならば
無駄(問題)→悩む考える→解決のプロセスがhiro-osawaさんも仰っていますが、習熟のプロセスなのだと思います
人が持つマイナスの思考とは成長のプロセスとして大事なのかもしれませんね
Commented by mcap-cr at 2019-01-20 17:17
> utaさん
無駄の話題は、私には難しすぎたのかと反省しています。
社会全体から見ると、皆が同じことをするのが無駄で、それぞれ得意なことをやって全体として最大の成果を出すことが最も無駄の少い状態なのかとも考えられます。
しかし、ここで、最大の成果というものを定義するのが難題なので、結局無駄が最小という定義もはっきりしません。
会社なんかでは、短期的に無駄を最小にすると、長期的には利益が小さくなることも有りうるので、短期的な最適化は求めずに、ある程度の成果が出ればそれで良しとするのが、長生きにつながるのかなと思います。
短期的な最適化を求めないことで、無駄の中から十年先のメシの種が見つかることもありますが、1年やって成果が出ないから廃止とかやっていると、中長期的にはマイナスになることが多いと思います。
無駄という用語を使うので話が分からなくなる傾向があり、無駄ではなく、絶対的な無駄と相対的な無駄に意識的に分類することで、絶対的な無駄を最小化していけるのだと思います。
by mcap-cr | 2019-01-19 06:22 | その他 | Trackback | Comments(6)

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