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自分の限界

先日、東京音楽大学(TCM)の作曲・編曲作品発表会(記事)を聴いていて考えました。
それは、聴いている自分の能力不足は永遠について回るということです。
自分から見れば、TCMの学生さんたちのパフォーマンスはこれ以上ないくらい見事です。
作曲作品だって、有名な作曲家の作品とどちらが凄いのかわかりません。
編曲に至っては、プロの放送作曲家と比較してああだこうだいうのが困難なくらいの出来栄えです。
しかし、それは、本質を知った人から見ると違うのかも知れません。
なにしろ自分は、高いところにあるものを地べたから見ているのと同じです。
本質を知った専門家は、同じものを俯瞰して見られるのですから、別な見え方があります。
そうしていろいろな角度から見た評価と、ひとつの側面だけの評価とでは全く違って当然です。
私は、素直に素晴らしさを受け入れましたが、ど素人の私よりもうちょっとマシな素人だったら違う評価になるのでしょう。
つまり、自分の評価は、限られた条件の中の一面的な評価に過ぎません。
そんな人がああだこうだ云ってみてそこにどのような価値があるのか...
これって、根本的な問題であり、哲学的な課題でもあります。
こういう相対的な意見が絶対ではないからと云ってすべてを否定してしまうと、世の中にあるほぼすべてを否定しなければなりません。
残念ながら全知全能の神に匹敵する人はいません。
私のようなど素人であっても、素晴らしい演奏家と比較して全然違う側面なら多少マシなこともあるでしょう。
ひょっとしたら、そういうマシなことが、別の側面を評価しているということもあり得ます。
例えば、私は、音楽を聴いているといいながらも、音を聴いているほうが支配的で、流れの中での音響の工夫には気付かないが、単なる音響と音響に関する心理については、音楽家の方々が意識していないことを評価しているなんていうこともあるのかもしれません。
そういう風に考えなければ、自分の存在自体が無価値になってしまいます。
一応、価値のない人はいない、と考えておきましょう。

音響的なことです思ったことを書きます。
TCMのA館にある100周年記念ホールは、座席こそ806ですがが、どの席でもよく聴くことができ、音響的にも素晴らしいホールです。
藝大奏楽堂よりも少し小さいですが、806名埋まればそこそこの演奏会ができます。
今回は、聴衆が100名いたかどうかだったので、残響時間が短くならずに音響的には恵まれていました。
特に美しいと思ったのは高音楽器の音でした。
側面から素直に反射してくる音響は、方向感を惑わせますが、音楽に包まれる効果があります。
私が求めている、オーディオでも音響に包まれる感覚は、まさにこのホールの音響を目指したものです。
このホールの壁は、あまり凝った反射パネルの形状ではなかったので、音が素直に反射するのだと思います。
私が感じる好ましい音のホールは、さほど凝ったパネルで囲まれている訳ではありません。
それでも、座席の効果などで、適当に吸音されるし、定在波があっても超低音で気にならないので、こういう広い空間には音響パネルはさほど必要ないのかもしれません。
オーケストラの低音については、やはり33Hzくらいまでしか感じませんでした。
感じたのは大太鼓の響きだけです。
オーケストラの構成変更のときにスタッフが集まって楽器や機材を移動していましたが、おそらくこのときの床音には、もっと低い周波数があったものと思います。
耳で知覚できたという訳ではなく、皮膚や内蔵などでそういう振動を感じました。
音楽用周波数としては、やはりほとんどの場合に33Hzの法則が成り立ちそうです。

キラキラとした高音は、反射によって方向感が分からなくなり、低音も同様に方向感覚を惑わせます。
しかし、ティンパニーの皮を叩く音は、中音以上の周波数も含むので、方向感は惑わされません。
視覚で感じた方向から音が聞こえてきました。

オーディオだったら、目指すのはこういうホールの音響だろうと思います。
録音そのものに間接音が多すぎると部屋の残響によってモヤモヤになりますが、適度に音響が録音されたソースであれば、部屋の響きを付加してちょうど良い感じになるでしょう。
それでも、高域は、指向性が強いので、全方向に音波を発する楽器のように再生するには、メーカー製の3ウェイ等ではこうはいきません。
ホールの音響を再現したいのであれば、自作スピーカーシステムを導入せざるを得ないでしょう。


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Commented by hiro-osawa at 2020-01-16 02:06
何でも良いので、何か楽器をやってみることお勧めします
自分の手を付けた楽器を少しでも分かった上で、同じ楽器をやっている人の録音を聞く、ビデオを見る、ライブステージを見ると聴き方ががらりと変わるはずです またちょっとでも楽器の演奏が身に着くと、触ったことの無い楽器を聞いても、相当にいろんなことが気が付くようになること保証します これは聞こえなかった音が聞こえてくるという意味です
ミュージシャンがどんな気持ちで苦労して演奏しているか伝わってくるようになると、演奏そのものでなくその気持ちに感動したりします
良くない状態の楽器に苦労してたり、ほかのメンバーの音に反応したり(アドリブのないクラッシックですらそういうことあります)、演奏を聞いて終わりではなく気持ちが伝わってくると、その人の心情に触れたような気がして感動してしまいます
演奏家の人たちと音楽の話ができるようになるのも良いことで楽しみの幅が広がります
絵を描かない人と絵描きの人が他人の描いた絵を見て感じ取ることは違うし、料理を作ったことの無い食べるだけの人は料理人の苦労を知ることはありません
こういうことを思うと、オーディオ装置の改善でより感動する領域が増えることは残念ながら僅かです
ミュージシャンの人たちにオーディオにあまり関心がない人の多いのも理由はこの辺にあります
Commented by mcap-cr at 2020-01-16 05:58
> hiro-osawaさん
まったくそうですね。
以前、キーボードでも買って遊んでみようかとか思っていましたが、家が狭いので止めていました。
小さい頃はある楽器を習っていたのですが、50年くらいは触っていません。
本体と音の小さな楽器を探してみます。
人に聞かせる(=拷問する)訳ではないので、小さな楽器で十分なんですよね。
オーディオ装置の改善で感動する領域は増えるという訳でなありませんが、使い方では効果があると思います。
音楽家がリファレンスにするような装置がいいのでしょうね。
by mcap-cr | 2020-01-15 05:55 | 音楽・コンクール | Trackback | Comments(2)

音楽は生演奏が最高ですが、レコード音楽は、工学オーディオによってリーゾナブルなコストで楽しみましょう。


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