2020年 09月 05日
いま器用な人ではなく、これから伸びそうな才能
これを聴きに行くのは私の行事のようなもので、終わったときの一抹の寂しさは、子供のときにオリンピックが終わったときに記憶を呼び覚まします。
ツィッターを見ていたら、来年は『指揮』部門があるようです。
指揮者は、どの学校にも学年で数名しかおらず、藝大でも1学年2名だそうです。
ですからコンクールといっても参加者は多くないでしょう。
その記事のリンクが下記です。
2021年・第19回東京国際音楽コンクール〈指揮〉会見レポート
2020/09/04
審査委員長に尾高忠明が就任、
「いま器用な人ではなく、これから伸びそうな才能」を評価のポイントに
『いまは器用な人』が何を指すのかわかりませんが、指揮者というと、大勢のオーケストラ団員のそれぞれを聞き取って、適切に指示を出さなければなりません。
間違いに気付かなければいけないし、指示のタイミングを合わせないとバラバラになります。
かつて、米国のピッツバーグ交響楽団を現地で2年間聴いたときに感じたのは指揮者の重要性でした。
最初に客演指揮者の演奏を聴いたらそうもアンサンブルが良からぬように聞こえましたが、その後、前任音楽監督のアンドレ・プレヴィンの指揮を聴いたら見違えりました。
当時現任のロリン・マゼルの演奏では、更に良い演奏を聴かせました。
ピッツバーグ交響楽団は、米国内の5大には入らないものの、それに次ぐオーケストラでした。
それでも指揮者が違うとナニな面を聴かせていました。
器用というと何だか見かけだけのイメージですが、器用でなければ素晴らしい指揮はできないでしょう。
これから伸びそうな才能...パワーワードです。
これは実に難しい。
オリンピックのような運動競技では戦って勝敗決めるか、時間で決めるものが多いですが、採点で決めるものもあります。
採点で決めるものには怪しい結果も出てきます。
フィグアスケートなんかが怪しさ満点の競技といえます。
オリンピックは、これから伸びそうな才能ではなく、現に上回ったと判定した結果で決めるものです。
今年の東京音楽コンクールを聴いていたら、『これから伸びそうな才能』で決めている感がありありでした。
こういう決め方があるのは一向に差し支えありませんが、予め告知しておかなければ不公平感は否めません。
こういう評価基準にするなら、半分は年齢で決めると云っているようなもので、出場者の年齢制限上限ギリギリでは、出てもしょうがありません。
そうなると、だんだん、『現に素晴らしい人』が出てこなくなるおそれがあります。
それだったら、コンクールにも特色を出して、18歳以下、とか19歳以上とか、23歳以上30歳以下、のように細かく設定し、基準を示すほうが良いように思います。
現に素晴らしい人が一位になれない...ある意味キャリアに汚点を残すことになるのかもしれません。
来てみたら、これでは勝てるわけないじゃん...
というのでは気の毒すぎます。
上記の指揮者コンクールは、予め方針を示しているのですからこれでいいですが、他の部門も同じように方針を示し、結果の選考基準についても開示するのが開かれたコンクールだと思います。
これからの才能を活かすのが目的のコンクールで現に素晴らしい人を潰さないでほしいと思います。

