最近ようやく趣味に時間を割けるようになったので、貯めておいたFMエアチェックした録音を整理しています。
放送は、そのままでは、解説などが混じって繰り返し聴くのに適さないので、解説などを除いた音楽部分を切り出していくと、立派な音楽アルバムができあがります。
放送は、各地のラジオ局から提供を受けていて、世界中のコンサートやリサイタルの様子を聴くことができるわけです。
MicroSDカードに撮り溜めておいたMP3ファイルをAudacityで開いて編集し、ファイル名を曲名等に変えて、タグを埋め込む。こういう作業で、放送された音楽番組を聴くことができるので自分の音楽鑑賞趣味が更に充実していきます。
まだ2022年分の録音の半分もできていませんが、編集が終わったものから順次ラズパイ音楽サーバーに転送して聴いています。
昨日は、伊藤恵さんのライブ録音でベートーヴェンのピアノ・ソナタ28番、32番を聞きました。
私がベートーヴェンのピアノソナタを好んで聴くようになったきっかけは、上田実季さんの演奏で32番を聴いたからです(
記事)。そして、上田さんの師匠のひとりが、伊藤恵さんでした。
ということで、じっくりと聴いてみました。
伊藤さんは、指の衰えを感じるところがありましたが、音楽の掘り下げ方、表現は、さすがに上田実季さんの師匠だけのことがありました。
日本には、まだまだ知らない大家がいるのだな、と関心しきりです。
また、最近、車田和寿さんの気になる動画を見ました。
何故日本人の演奏家よりも海外の演奏家が好まれるのかという内容です。
この動画の内容はさておいて、背景について考えていることを書いてみます。
日本人演奏家よりも海外の演奏家のほうが重用される。
これは、私も感じていました。
理由は、もう半世紀近くも前にさかのぼりますが、その当時、レコードは海外録音のものばかりで、当然ながら演奏家も海外の演奏家ばかりでした。
レコード録音されている=著名=素晴らしい(はず)
私に限らず多くの人が、こんな関係を頭の中に描いていたのでしょう。
だからこそ、海外の演奏家のほうが重用されていたのでしょう。
どうしてこうなるのか?
これは、音楽趣味に限らず、オーディオ趣味でも同じです。
その根底にあるのが権威信仰でしょう。
クラシック音楽の本場はヨーロッパ→ヨーロッパの演奏家の演奏のほうがいい。
こういうロジックが支配的になると、そこに自分の評価は入りません。
挙句の果ては、西洋音楽だから日本ではしなくていい、という暴論にもつながりかねません。
演奏芸術も学問の一種です、というか、高等教育で教えています。
学業と芸術との関係を論じる知識は自分にはありませんが、今の世の中では、演奏芸術も大学で教えているので、学問の一種であるという理解が間違っているとは思いません。
そう仮定すると、演奏芸術も科学技術と同質の部分があるので、本場かどうかは関係ありません。
ですから、芸術においては、本場という基準は捨て去るべきではないかとも考えます。
音楽鑑賞に自分の好みを感じるのには学業のような修業が必要ないので、そういう難しい話とは一緒んできませんが、自分の好みは、最終的には自分で決めるべきだと思います。
海外演奏家のほうが重用されるのは、結局は、権威に縛られることによって自分で決められないという、残念なことではないかと思います。
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