最近パソコンのことを書いてきていますが、年とってから気づくことが多くあります。
LinuxかWindowsかというのも好みの問題のひとつでしょう。
Windowsを使わなければならない切迫した理由があれば好みの問題ではありませんし、逆にLinuxのでなければできない切迫した事情があれば好みの問題ではありません。
それでも、たいていは、切迫した事情がないので、好みの問題となります。
好みは、本人の人生の経験において知りえた情報に基いて決定されます。
疑り深い人は、自分の経験がすべてではないので、グローバルな最適解を求めたりするかもしれません。
しかし、グローバルな最適解を求めるのは、好みの問題についてはナンセンスだと思います。
そんなことを言っていたら、何千年も生きなければなりません。
たとえ何千年か生きたとしても、その間に世の中が移ろいで行くので、状況が変わり好みが変わります。
そもそも有限の時間の中では最適解が見つからない。
最近は、自分がピアノの演奏を多く聴くようになって、好みの問題を強く意識するようになってきました。
同じ曲を別な演奏で聞くと印象が違います。
かなり違うことがあれば、あまり変わらないこともあります。
演奏が違うと演奏のはやさも音量も強弱も違います。
録音が違って音も違います。
しかし、同じ演奏の同じ録音で聞いても印象が違うことがあります。
よほど集中して聞かないかぎり、演奏者を間違えるなんてふつうのことです。
結局好みの問題であっても、差が小さいと、不確かさの中に隠れてしまう。
こう考えると、グローバルな最適の好みを求めるというのは理に適いません。
すごく当たり前のような非常識のような意見だと思いますが、自分の感じ方の解像度と不確かさを把握するほうが、グローバルな最適解を求めるよりも、正解に近いように思います。
不確かさの中に隠れてしまうような差を追い求めてリソースを使い切るのも人生でしょうが、残念ながらそういうのは滑稽に見えてしまう今日この頃です。
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