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実験

科学実験は、同じことを何度も繰り返すことができ、条件を少しずつ変えながら、モデルをつくっていくことが可能です。
そんなわけで、自分は、スピーカーシステムを設計するときには明確に条件を変え、できるだけシミュレーション計算し、目的に対しての達成度を推定するようにしています。
これが、自分にできる実験な訳です。

という日常を繰り返しながら、なんとなく自分の日々の行動について考えてみました。
全てにおいて実験が可能なのか、実験不可能なものもあるのではないかと。
科学実験でも試験技術が不完全なために実験不能なものがあります。
たとえば、危険すぎてできない実験などがあります。
そういう不可能は、いずれ可能となっていくでしょう。

実験不能なものとして、自分の学習能力の繰り返し実験があると考えました。
自分の若かった時代には、受験というものが重要で、推薦枠が今のように多くなかったので、ほぼ試験の一発勝負、うまくいけば合格駄目なら浪人とか、別な学校に行くとか、受験能力の高低が、その後の人生に影響しました。

どのような学習方法を用いれば自分の学習能力、受験能力を高めることができたのか?
これは、時間を巻き戻して別な学習方法に条件を変えることができません。
たとえ時間を巻き戻すことができたとしても、その後についての前回の試行結果の記録がないので比較していることになりません。

このように、自分についての実験というのはとても難しく、不可能なことが多い訳です。
できることは、学習方法を変えることですが、それにしたって、方法を変える前の学習による結果が、時間遅れで出てくることもある訳なので、時間を巻き戻してリセットしたのとは全然違います。

ということで、自分がいまの状態になっている理由を分析しても、その分析が正しいのかどうか、検証することができません。
いわば、ニュートンの運命論のような帰結を感じるにとどまってしまいます。
なんとも理屈っぽくて、こんな思考に賛同できるような人はいないであろうことを念頭において、自己満足で書きなぐるのがこうしたブログなのでしょう。

こんなことを考えることになったきっかけは、先日イタリア語の文法書を購入したことです。
毎日少しずつ読んでいるのですが、読みながら英語学習について思い出しています。
自分が高校生の頃は、英語の授業には、読み、書き、文法の3つのコースがありました。
そしてそれらを別々に学習しながら、それが融合し、優秀な人は成績が上がっていきました。
しかし、自分はというと、英語が苦手で全然芽が出ませんでした。
そんな状態のまま、高校時代が終わってしまいました。

それでも自分が受かる学校があったので、そちらで勉強することになりました。
大学での勉強は、元々の素養があろうがなかろうが、受験勉強とは違って真面目にやれば能力が上がっていくと感じています。
しかし、受験勉強はそうはいかず、真面目にやっても成績が上がらない、できる人間は恐ろしく成績が上がる、というか元々高い。
そんな印象を自分は持っています。

さて、では、自分はイタリア語を勉強しながら、高校時代の英語の学習と比較しながら、過去の自分に英語の能力を上げることが可能であったのか、自分なりの検証をしています。

自分の場合の一番の問題は、続かない、学習時間が短い、と、そういうところであったと、自分なりに分析しています。
それは、先程書いた通り、検証不能な分析なのですが、一般的には、適切な時間学習し、継続することで能力が上がるというのは間違った主張ではないと思います。

イタリア語の文法を学習してみると、英語よりもイディオムが相当に多く、前置詞も山ほどあり、構文をまとめるのにも、5文型の英語のようにはまとまりません。
一応、9文型にまとまるそうですが、ちょっと複雑な分類です。

イタリア語学習の初期には、主語の違いによる活用形(定形)が英語よりも多い、くらいに思っていましたが、やってみると、それだけではありません。
前置詞の多さは、英語に比べると異常なほどだし、不定詞の使い方が英語のように単純ではありません。
ということをしばらく続けてみた結果、自分なりに感じたのは、以下のことです。

読み書き、文法、という英語の3つのコースは優れた勉強法であったのだろう。
これは、偉い人が考えた言語学習法です。

そして、自分が過去に戻って別な学習法を用いたところで、大差なかったであろう
ということでした。
というのは、英語の学習法を知った上でイタリア語を学習しても全然上達していかないからです。

後者はなかなか絶望的な分析でした。
自分としては、『やり方が間違っていたからうまくいかなかった』→『だから学習法を正しくすればうまくいくのだ』という結論を想像していたのですが、結局は、『自分の能力はこの程度なので、過去に戻って優れた学習法を実践したとしても所詮は、受験能力そのものが上がることはなかったであろう』という結論になってしまいました。

ただし、追記すると、大学はどこでもいいので、そこで真面目にやれば、その専門分野での能力は間違いなく上がるはずと思います。
そうでなかったら、高校時代にすでに人生が決まってしまう訳です。
どうやら受験勉強と専門分野の勉強とは似て非なるもののようです。

by mcap-cr | 2025-06-30 06:52 | 社会科学 | Trackback | Comments(0)

生演奏を主とすれば、オーディオは箱庭で充分でしょう。