Googleのアウトラインを見ていたら、伊東市長の学歴詐称疑惑の見出しが出ていました。
大分前の事件だったような気がしていましたが、まだ、解決してなかったのか。
学歴詐称なんかいずれバレるし、詐称する意味がどれだけあるのか?
先日旧知の友人と昼食を共にしました。
どこに接点があるのか分からないような友人ですが、18歳からずっと縁が続いているので、ときどき吞んだりする相手です。
彼は、一般企業に勤めていたのですが、そこから、公共的な財団に出向してそのままそこで働いています。
私はといえば、いろいろあって建築(設備も含む)設計事務所で働いているのですが、設計事務所とは云っても、強い分野が限られていて、そこでは新規参入がほとんどないので、仕事はぼちぼちです。
友人の働いている財団には、70過ぎの理事長がいるそうですが、そういうのさっさとクビにするほうがいいよなあ、などと話していました。
自分は切実に感じているのですが、若い頃と比べると、仕事の処理能力は確実に落ちています。そういうと、友人は、あれ?という感じでしたが、気付いてないのかな?
無駄なトップを削減すれば、働き盛りの若い人に対してもっと手厚くできます。
そうすれば、もっと活気が出るだろうし、子供も増えるでしょう。
老人でも、カリスマの人はいいのですが、単に長く働いて飾られてるだけの人は、さっさと切り捨てるのが吉です。
70過ぎまで食い尽くさせてあげる必要はありません。
少子化対策なら、財政支出を減らし、無駄な老人は切り捨てて、若い人に手厚くすることです。
老人も無駄なだけならマシですが、某自動車会社の役員のように、結果からみて害悪にしかなっていない、なんていう人はゴロゴロいます。
そういうのを切り捨てていくだけで、若い人に手厚くできるし、工場を閉鎖する必要もなくなります。
元の話に戻ると、友人の働いている財団は、学歴が重要なようで、どこそこ大学の出身とかいう言葉が出てくるのですが、私は、普段出身大学とかそういう話をすることは全くなく、むしろそういう話にならないよう気を付けている、と云うと彼は感心していました。
自分がどうしてそういう話をしないかと云うと、どこそこ大学の出身だから仕事ができるとか、そういうことをあまり感じないからです。
勉強ができるとか、できないとか、そういう違いを感じるところはありますが、仕事のほとんどは学問を使わないので、その部分に焦点を当てることがすくなくなっています。
学問を使わなくても出来てしまう仕事のほうが圧倒的に多いので、出身大学よりも、仕事への取り組み方のほうが重要だと思っています。
もちろん、さすがにあの大学の出身者だな、と思うことはありますが、仕事においてはそれが全てではありません。
学歴詐称事件は目につきますが、どうせバレるし、仕事の出来不出来には関係ないし、そもそもある程度歳とってから、出身大学がどうだとか云ってマウント取ろうとするのどうなのよ?と思います。
必要があれば、卒業証書のコピーを提出させるのではなく、学校に直接確認すれば良いことです。
米国の学校は、改ざんを防ぐため、証明書は提出先に直接送ってくれます。
TOEFLやGREの結果も、出願する学校に直接送られます。
日本の学校もそうすればいいのではないかと思います。
そういえば、自分が行った米国の大学院には、修了証明書はなく、成績証明書に学位が記されていました。
そもそも卒業証書には法的効力はないので、そのまたコピーとか意味がありません。
私も日本の大学の卒業証書が実家で発掘されましたが、大きくて邪魔なので切断して捨てました。
立派な厚紙でしたが、思い入れもないので邪魔なだけでした。
あんなものは気休めにしかならず、そのまたコピーなんか、受け入れるほうが悪いと思います。
詐称を防ぐには、公的な証明書しか受け付けなければいい訳です。
改ざんの可能性のある書類で処理するほうが悪い。
そもそも学歴なんかどうでもいいだろなんて思うのは自分だけなのかな?
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