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バスレフ研究所 Personal Audio Laboratory mcap.exblog.jp

音楽は生演奏が最高ですが、レコード音楽は、工学オーディオによってリーゾナブルなコストで楽しみましょう。


by MCAP-CR
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<   2019年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

昨年のオフ会で使用した、音友社のムックのユニットOM-MF5を全部取り外しました。
もう使わないので5セットまとめて箱に入れようとしましたが、
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入りません。
ユニットは、1組ずつ、振動板を向い合せにしてボルトとナットで仮どめしてあります。
こうすることによって振動板を破損する危険が減ります。
入らない理由の大きなものは、磁力です。
このユニットは結構磁力が強いので、反発しあってうまく入りません。
そこで4組だけ入れてみたらなんとか入りました。
価格付と自分にとっての価値との間で戸惑う_a0246407_08574735.jpg
このユニットは、もう使う予定がないので、次のオフ会のときにでも希望者に差し上げようかと思っています。
このユニットは高価で、立派な取説付きですが、定価ペア5616円でした。
最近は、こんなに高価なユニットは買ったことがありませんでした。
しかも、これでもお買い得だという情報を頻繁に目にします。

こういうものは、芸術作品とも違うのに、好みの問題です。
好みの問題が重要になるのは、どの製品もそれだけ不完全であることの証でしょう。
製品の性能の完成度が高くなれば、すべてが同じようになっていくので、好みの入りこむ余地がなくなってきます。
アンプなんかは、もう十分に音の完成度が高いので、性能が同等なら、目をつぶれば差を判別できないようになってきました。
もちろん、性能の差が問題になる使い方であれば、目をつぶっても判別可能でしょうが、性能の範囲内で使っている限りは、価格差があろうとも、音の差なんか、目をつぶればわからない(というかどうでもいい差しかない)程度になってきました。
スピーカーユニットについては、まだまだ、個々の差が大きいので、目をつぶって聞いても差がわかる場合が多いと思います。
ということで、このOM-MF5も期待して購入したのですが、自分の好みという観点からすると残念な結果なので、自分用としては、もう見ることはないでしょう。

一方、閉店してしまった日米無線でまとめ買いしていた、PM-M0841CKは、好みにぴたりと嵌ります。
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フランジに留め孔がないので、手がかかりますが、音は好みにぴったりです。
このユニットは、1本400円未満で購入したので、OM-MF5との価格差は大きいですが、音は断然こちらが好みです。

価格付には、いろいろな理由があります。
Fostex社のように、1本ずつ取扱説明書を付けて箱に入れ、カタログを提供し、正規代理店で販売するようにすれば、エンドユーザ価格は、原価のン倍になるでしょう。
音友のOM-MF5は、販売数がたったの7000部くらいしかないそうなので、開発費を含めて、その値段で販売すると利益はすくないでしょう。
その一方で、PM-M0841CKのようなユニットは、音を云々する以外の用途で使う目的で作られたと考えられるので、寸法・形状やインピーダンスなどのごく基本的な仕様さえ満足すればいいので、開発には、せいぜい2回程度の試作で済むはずです。
また、取説もなければ、梱包も24個単位です。
何らかの理由で作り過ぎたか返品処理されたものがジャンクとして流れてきただけでしょう。
したがって、研究開発費や宣伝費、梱包費を除く製造原価はメーカー品と変わらないかもしれませんが、販売価格はジャンク価格になります。
ところが、蓋を開けてみると、こういう好みの差に出くわすわけです。

演奏家が名前でブランドを作り上げて維持するのと同様、オーディオ製品もブランドをつくり維持するところが命です。
PM-M0841Kは、ブランドがないので、そういう基本的なところには、まったくコストがかかっていません。
この差は大きいです。
同じように、名前の知られていない演奏家は、マーケッティングや営業に投資しておらず、たとえ素晴らしい演奏家であっても無名なので、チケット代を上げたり、大きなホールを使うことはできません。

以前、どこかの国の高級CDプレーヤーと国産品のオーディオ用途でさえないDVDプレーヤーのDACが同じであることが話題になっていましたが、これは、ブランドを作り上げたからできたことで、ブランドがなければ、所詮一般品の扱いしかできません。

ブランドをいったん無視して好み本位で製品を選ぶというのは、これから世に出る前の演奏家の演奏を好みで選ぶのと似ているのかもしれません。
オーディオ業界と音楽業界の構造は、意外と似ているのかもしれないと思う今日この頃です。


by mcap-cr | 2019-03-31 08:31 | オーディオ一般 | Trackback | Comments(2)

初めての現代音楽

昨日3月29日の夕べは、東京藝術大学の奏楽堂での現代音楽の公演を聴きました。
「奏楽堂企画学内公募」最優秀賞作品、藝大フレンズ賛助金助成事業だそうです。
その名も
"THE COLOR OF MUSIC"
"THE SHAPE OF MUSIC"
音のいろ、音のかたち〜現代音楽はスペクタクルの夢を見るか〜
というタイトルが付いています。

まず、最初に奏楽堂に圧倒されました。
奏楽堂には2つあることを昨夜初めて知りました。
ひとつは文化財になっている旧奏楽堂ですが、今回公演があったのは、藝大構内にある新しい奏楽堂です。
中に入って驚きました。
オーチャードホールに迫る容積があります。
しかも設備が新しく個々の客席の足元にヒータが付いています。
椅子は普通の据え置き型折りたたみ式ですが、背もたれが高く座り心地がいいです。
客席の前後を仕切る通路を挟んで上側は、普通のホールよりも勾配が急になっていて、席に座っても前がよく見えます。
大学の施設としてこのグレードのホールがあるというのは驚異です。
今月7日に、東京音楽ホールのJ館スタジオに行ったときは、それでもすごいと思いましたが比較ではありませんでした。
東京音楽大学のJ館スタジオは、オーケストラ部分と客席が同じくらいしかありませんでしたが、奏楽堂は、普通のホールと同じく客席が圧倒的に広いです。
その広さを示すひとつがトイレの便器数でした。
これって商業施設でしょう。

肝心の公演内容はというと、音楽だけではありません。
照明あり、グラフィックあり、録音の再生があり、生演奏があり、ダンスがあり、と普通の音楽会では絶対にありえないくらいの設備と手間暇がかかっています。
制作者には、音楽関係者だけでなく、映像関係者、建築関係者、美術関係者と揃っていて、総合芸術大学でなければ絶対にできないパフォーマンスでした。
自分のような素人には難しい演出でしたが、前半は、音がすくなく動きが多いパフォーマンスでした。
音は録音物が多く、音に合わせて写真やグラフィックスのような映像を切り替えていきます。
最初は、英語で、女性が不思議な世界に迷い込んだような声に別な音声を載せて、映像が切り替わったりすぐに元の映像に戻ったりします。
これが、音の形なのでしょうか。
よほどの練習を積み重ねたと見えて、すべてがぴたりと符合しています。
でも素人にはよくわからない...
いびきをかいて寝ている人もいました。
私は、この公演はTwitterで知ったのですが、そういう人以外は関係者と思われます。
専門家ばかり集まっているのかと思いきや、自分みたいな素人も混じっていたのかな?
すごく長く感じる不思議な時間を過ごして15分の休憩。

後半は、前半よりも音が多い演出です。
単身の踊りで始まって、その踊りの最中にステージをセットしていきます。
舞台中央に机と椅子と小道具が並びました。
最後の晩餐のオマージュかと思いましたが、全然違ったようです。
前半は、『これは音楽ですか?』と感じる部分が多かったのですが、後半は、ちょっと現代音楽らしいところが多くなりました。
伝統的な音楽手法とは違って楽器の鳴らし方もいろいろだし、何拍子かもわからない、音のない時間も長い、素人には楽しむのが難しい音楽ですが、それが、演技のパフォーマンスや照明、映像も含めてピタリと符合しています。
途中、日本語で、『緑』とか『青』とか叫びながら音楽を鳴らすところがありました。
これが、音のいろ、なのでしょう。
素人には判別しにくい音の色でした。

全部で2時間ほどのパフォーマンスでした。
音楽というより、抽象演劇という感じでした。
でも凄かった。
もう一度見たいかと言われると『・・・』

初めての現代音楽。
経験した人でなければ共有できない世界でした。


by mcap-cr | 2019-03-30 08:00 | 音楽・コンクール | Trackback | Comments(0)
昨日夜は、ブリン・ターフェルのリサイタルを聴きました。
ピアノは、ナタリア・カチュコバでした。

ブリン・ターフェルを聞くのは、1994年にメトロポリタン・オペラで、フィガロの結婚を聴いて以来およそ25年ぶりのことです。
25年前は、主役のフィガロを伸びやかに歌っていて印象に残っています。
Wikipediaによると、その年がメトロポリタンオペラへのデビューだったそうです。
そのブリン・ターフェルの日本公演で、しかも、東京文化会館の小ホールでの公演ということで期待が高まります。
開場は18時半ということで、開場より10分ほど早めに行きました。
当日、大ホールでは、リッカルド・ムーティによるオペラ解説のイベントがあり、ターフェルのリサイタルは裏番組のような感じです。
混雑を予想していたのでちょっと早めに行ったのですが、ムーティのほうは、入場が終わっていたようで、混雑はありませんでした。
ターフェルのほうは、開場してすぐに入場すると、まだ、客席には人があまりいませんでした。
開演を待っているとどんどん混雑して席が埋まっていき、満員に近くなりました。

曲目は、英語の歌が中心で、知らない曲が多かったのであまりピンときませんでした。
歌唱のほうは、25年前より円熟した感じですが、よりなめらかに、軽やかに歌います。
バスの領域からバリトンの高めの領域まで見事です。

ピアノのカチュコバは、今回初めて聴きましたが、ターフェルとの息がぴったりです。
練習でも合わせこんでいるのでしょうが、それだけではなく、むしろターフェルに指示を与えて始めるような感じもあり、相当な信頼関係があると感じました。
いままで、同じ会場で、別な若い歌手と伴奏をたくさん聴いてきましたが、カチュコバとターフェルのこの演奏は感じが少し違います。
カチュコバのピアノは、歌唱に溶け込んでハーモニーを奏でます。
コンクールなどで聴くと、ピアノがオーケストラの代役という印象が残りますが、カチュコバとターフェルは、そういう感じではなく、カチュコバがターフェルに合わせ、ターフェルはカチュコバに合わせているようです。

ブリン・ターフェルが、若いこれからの歌手たちと圧倒的に違うと感じたのは、ゆとりです。
長く歌っても息が切れないし、声量を落としてもその魅力を聞かせることができます。
また、客席に対する気遣いも抜群で、時折、私のほうを向いて歌ったりしてくれます。
おそらく、どこの席にいても、『ああ、自分のほうを向いて歌ってくれた!』と感じさせたのだと思います。
こういう聞き手の側からの視点も忘れずに、それを自然に演じます。

カチュコバに対しての振舞も自然で、仲間内のような親しみのある態度、尊敬と感謝を示す態度と、見ていてもとても爽やかです。

いままで、東京音楽コンクールで聴いてきた歌手たちは、生き残るために必死だったという理由もあるでしょうが、こういう自然な振舞は、できていませんでした。
歌手以外でも、このような振舞はできていませんでした。

今回、一流どころを聴いて、改めて、新人とのゆとりと風格の違いを感じました。
ここまで来るのは、芸術に対する才能と努力だけでなく、人間としての修行も必要なのだろうと感じざるを得ませんでした。

若い歌手や演奏家も、このようなゆとりを持てるようになれば、もう一流なのでしょう。



by mcap-cr | 2019-03-29 07:02 | 音楽・コンクール | Trackback | Comments(2)

お花見

今年もお花見の季節になりました。
昨日は暇だった(良くないことですが)ので花見に行きました。
私の花見コースは、決まっていて、半蔵門〜皇居沿い〜武道館〜千鳥ヶ淵〜靖国神社〜市川〜本所吾妻橋〜浅草〜日本橋、という順です。
このコースは、比較的、人混みを避けながら桜の花を愛でることができます。

やっぱり桜の花は美しいです。
お花見_a0246407_17040462.jpg
これは、靖国神社の桜で、ここは比較的たくさん咲いていました。
なるべく人の少い場所を選んで撮影しましたが、他の場所はもっと混んでいました。
靖国は、嘘の新聞に政治利用されてしまったので、普通の日本人と普通の外国人以外はあまり見ません。
とても平和な感じがします。
会ったことのない私のおじも戦死しているので、ここに祀られています。
英霊に手を合わせて平和を祈りました。

日本の桜で目立つのはソメイヨシノで、これは、掛け合わせて作った品種だそうです。
桜が好きで、品種まで作ってしまったのでしょう。
こうして作られた美しい品種がワシントンの川沿いにも植えられていたりするし、桜を愛でに来る外国人観光客も目に付きます。

ちなみに、はんぐくさらむは、ソメイヨシノの起源をチェジュ島の王桜だとか、うりじなるを主張していますが、DNAが違う品種であることがわかっているのに、一向に改める気配がありません。
恥ずかしいと思っている自国人も多いのかもしれませんが、親日罪で逮捕されても困るので表面に出てこないのかもしれません。
うりじなるを主張する人は、日本文化が世界に愛されるのがよっぽど羨ましいのか、寿司の起源を主張したりしていますが、そういうことはやめて、王桜とか、そっちの品種や文化を大切にしてほしいと思います。
よそから文化財を盗んで自分のものだと言ったり、文化財を腐らせてしまってはいけません。

昨日は、晴れて温暖な気候でとっても良い花見日和でした。


by mcap-cr | 2019-03-28 07:08 | 社会科学 | Trackback | Comments(2)

ファンとしての道

3月25日は、Exciteブログ総合1位になっていました!
ファンとしての道_a0246407_06541359.png
なんてことがある訳ではなく、Exciteのバグです。
よく見れば、部門ごとにさえ1位になっておらず、町内会の10位が世界1位になったような感じです。
このバグ、以前も見たことがあるような気がするなあ。
ランキングなんかどうでもいいんですが本当の1位ってどれだけアクセスがあるんでしょうね?

話は変わって、少し前にアイドルを職業とする方がファンに暴行されたというニュースがありました。
その説明会で、その元締めがやらかしたみたいですが...


私は、ファンにはファンとしてのルールがあると思います。
自分が必要と思うルールは、

"職業としてのパフォーマンス部分以外は求めない"

こんなところでしょうか?
Twitter等で情報収集はしますが、あくまでも、次の公演予定とか、関連情報だけしか見ないようにします。
あまり個人的なところを見てしまうのは、ストーカーみたいで気持ち悪いです。
見られる方も、ストーカーは想定していないのでしょうが、そういうやつもいるかもしれないので気をつけるに越したことはありません。
ファンが、被ファン側の人間として魅力を見つける、そういうのはいいですが、あくまでも自分の内面に留めておくべきで、それ以上は追求してはいけないと思っています。
ファンがいるような職業の人は、個人的なつぶやき用のアカウントと公式アカウントを使い分けるほうがいいでしょう。
ファンがいる職業の方は、個人的なつぶやきは不要な情報を晒す危険もあるので、仲間内だけに公開するとか注意するほうがいいように思います。
でも、公演予定とかは発信していただけるとチケットも入手しやすくなります。

ファンとして情報収集する側は、くれぐれもTwitterやfacebookをストーキングに利用するのはやめましょうね。


by mcap-cr | 2019-03-27 06:49 | その他 | Trackback | Comments(0)

Fedoraを28から29に変更

Linux Fedora 28で使っていた、パソコン工房のSTYLE-11HP013-C-CE [OS LESS]という小型ノートPCのOSを変更しました。
このノートPCは、OSなしというオプションがあり、Windowsを使う必要がありません。
そこで、Windowsを購入せずに、Linuxで使っていました。
CPUはCeleron N3450というクアッドコアで、Linuxには十分ですが、Windows 10で使うにはちょっと能力不足かもしれません。
最初は、OpenSuseをインストールして岩のように重かったのですが、Fedora 27に変えてみると軽快に動作しました。
ただし、Fedora 27は不安定で、ときどき作業中にアプリケーションが落ちてログアウトしてしまったので、困りました。
これをFedora 28にアップデートすると安定しました。
その後、Fedora 29のパッチを当ててアップデートしたつもりでしたが、できたのかできなかったのかよくわからない状態で使っていました。
それでも何も問題はなかったのですが、ちょっと気になることがあったので、SSDごとOSを変更しました。
前回のOSでの状態は、バックアップをとってありますが、gz圧縮してもイメージが300GBを超えていました。
今回は、クリーンインストールなのと、SSDの容量を少し小さくしたので大丈夫でしょう。

まず、最近のパソコンは、ドライブやメモリ等の交換がやたらと面倒な場合が多いようです。
このパソコンも例外ではなく、裏のネジを外し、バッテリーを外し、キーボードを外し、裏蓋を外すということが必要です。
この作業は、毎度うんざりします。
今回は、キーボードの外し方が不適切で、キーボードの部品である縁を外してしまい、一部破損させてしまいましたが、とりあえず使えています。
どうしようもなくなったら、キーボードを購入すれば直せますが、部品は高価でしょう。
以前は裏板にある蓋を止めるネジを数本外すだけでドライブやメモリが交換できたのですけどね。
今は、サイズギリギリに作ってあるので、こういう面倒な組立が必要なのでしょう。

OSは、普段Live OSとして重宝しているFedora Core 29を入れたUSBメモリからクリーンインストールしました。
これは簡単だし、DVD-Rと違って要済みになったら再利用できるのでエコです。

OSをインストール後、インターネットストレージのDropbox, MEGASync, OneDriveをセットアップしました。
このなかで手こずったのがOneDriveで、自分用に書き留めておいた記事(記事へのリンク)を修正することになりました。
上記記事は、OpenSuse用に書き留めたのですが、基本的にはFedoraでも同じで、記事に舌足らずの部分や多分不完全と思われる記述があったので、新しくコメントを付記しました。

Fedoraは、OpenSuseと比べてシステム設定ツールがまとまっていないのが欠点ですが、使いやすい点もあります。
また、動作も軽快なようです。
今回は、プリンタとスキャナの設定もしたので、WindowsPCを起動する必要性がかなり減りました。
最近は、ハードメーカーもLinuxで使えるように配慮してくれているので、助かります。
セットアップしたのは、CanonのMF242dwという複合機で、これは、レーザープリンタとスキャナーのセットなので、ランニングコストも低く、これ1台でかなりのことができます。
Canonは、この機種用にLinuxのドライバを提供しているので、ドライバをインストールした後にCUPSの設定をするだけで無線ネットワーク経由で印刷できるようになりました。
スキャナー機能は、つなぐだけで使える場合が多いので、これも無線ネットワークスキャナーとして使えるようになりました。

Linuxの問題は、まだソフトが充実していないことだとおもいます。
Linuxに使いやすいスキャナーソフトが出ることを期待しています。

OSを変えると、PCそのものをアップグレードしたみたいでいいですね。


by mcap-cr | 2019-03-26 06:46 | コンピュータ関連 | Trackback | Comments(0)

これ笑った!

日本語が正しく伝わらないのはよくあることのようで、これも海外で日本製が好まれるせいなのでしょう。
『極度乾燥(しなさい!)』="SUPER DRY"
なんていうのはかわいい方で、すごいのを見つけてしまいました。
以下2点の画像は、『「エセ日本語」の商品パッケージめぐる中国人の会話に共感の声!』から借用しました。
画像の大元は不明です。
これ笑った!_a0246407_16192220.jpg
『クソムーケーキ』ってそれ何?
と思っていましたが、よく見たらクリームケーキのことだと分かりました。

これは!!!
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コメントできません!
間違ったのか品の悪いジョークか?


by mcap-cr | 2019-03-25 07:04 | 外国語 | Trackback | Comments(4)
昨日は、クリスティーヌ・ワレフスカのチェロリサイタルに行ってきました。
ピアノ伴奏は、福原 彰美さんで、福原さんは、良い相棒になっていて海外公演での伴奏も担当したりするそうです。
場所は、渋谷のオーチャード・ホールでした。

チケットは、文化会館での公演でもらったチラシを元に、先日の3月7日に、111 Orchestraの前に別な公演のものも含めて各所をまわって購入していました。
111 Orchestraの公演で貰ったチラシには、同じ3月7日に東京音楽大学の演奏会もあってそちらに行きたいと思いましたが遅かったので、ワレフスカさんのリサイタルに行きました。
偶には、有名どころの演奏を聞くのもリファレンスとしていいのではないかと思います。

オーチャード・ホールは、セッティングにより2,000前後の定員とのことで、東京文化会館小ホールの3倍以上の定員のようです。
自分が座った前から16番目の右端側の堰からは、8割以上埋まっているように見えました。

ワレフスカさんは、ポーランド系移民の子供で、ロサンゼルス生まれ、楽器商の父親から手解きを受け、13歳でピアティゴルスキーに師事、16歳で奨学金を得てパリ音楽院に留学したそうです。
演奏家としては、私の好きなピアニストのクラウディオ・アラウに『世界最高のチェリスト』と賞賛されるなどの輝かしい実績を残しています。
2013年には、震災被災地を訪れ、仙台で演奏したそうです。

ピアノの福原さんは、14歳でソロリサイタルを行うなど華々しい活躍と実績を上げてきています。

さて1曲目は、クープランの5つの演奏会用小品です。
楽譜の読めない自分には、こういう風に弾きたかったのかな?という疑問がよぎりました。
旋律に曖昧さを感じて、戸惑いました。
2曲目のプロコフィエフのチェロソナタでも自分のイメージするプロコフィエフとも違いました。
同じようにちょっと曖昧な印象を遺しました。
休憩を挟んで、ボロニーニの作品では、少し曖昧な感じが減退した感じです。
その後、ブラガードやピアソラの作品になると調子が出てきました。
ピアソラなんかは、クラシックで演奏されることが多くはないと思いますが、いい曲だと思いました。
最後のショパンは、あまりショパンっぽくない曲に感じました。
アンコールは、2曲、ショパンとボロニーニでした。
アンコールを2曲もありがとうございました。

全体を振り返ると、残念ながらピークをすぎてしまったのかなという印象が残りました。
このところ、私は、若いこれからの演奏家の演奏をコンクールなどで聞いています。
そういう方たちの演奏を聞いて技巧的にも音楽的にも素晴らしい説得力を感じています。
そこで名演奏家のソロを聞くとどうか。
若いこれからの演奏家の演奏がいかに素晴らしいかを再認識することになりました。

往年の名演奏家の最高の演奏は、記録物で味わうしかないのかもしれません。
そう考えると、オーディオ文化には、芸術を味わうという意味でも大きな価値があります。

ホールについて書くと、オーチャード・ホールは、私にとっては3回目でした。
改めて見ると、幅に対して高さが高いホールでした。
容積はかなり大きいと思いますが、音は適度に響く音響の良いホールだと思います。
響きすぎもせず余分な音も付かないので、旋律がよくわかります。
内部の装飾も直線(線分)を基調としたデザインで、曲面よりも部分平面といった感じの造りになっています。
容積が充分にあるので、余分な音は付きません。
これはこれで、演奏がよくわかるいいホールなのだろうと思います。


by mcap-cr | 2019-03-24 08:09 | 音楽・コンクール | Trackback | Comments(0)
はんぐく(日本名はヘイト認定される恐れがあるので現地の言葉をひらがな表記にしてみました)は、国連軍の仁川上陸作戦の被害者に対して保証をさせたいとして揉めているそうです。

仁川上陸作戦被害補償推進

ちょそん(これもヘイト認定を避けて現地語をひらがなにしてみました)戦争のときの1950年のことだそうです。

そういう昔のことで保証しろとかいうのは、訴えられた方も困る話です。
証拠だって消えていくし、被害があったとしても被害者も消えていきます。
結局事実認定ができないので、言ったもん勝ちみたいになって、嘘の情報を元に訴訟ができてしまうと、どうしようもありません。
だから時効のような制度があるのですが、そういう法治主義を無視して何でも訴訟に持っていくのがはんぐくだかちょそんだかの文化みたいです。

法律は権利の衝突があったときに解決するためにあるのですが、そういう法益を放棄して気分でいろいろやってしまうという感覚は、私には理解できませんが、これがちょそん半島の文化なのでしょう。

法治主義は、争いを避け、また、解決するためのツールなのですが、こういうものを使わないことによって、しつこくゴネ続けて相手に妥協させれば勝ち、というのは、社会正義に反します。
それを国家単位でやってしまうのがはんぐくという国家ですが、そろそろそういう自国でしか通用しない習慣が、外国に通用しないことに気付いてきたフシも有ります。

先日、日本の企業に対して慰謝料を支払えとする偽徴用工裁判の最終判決がありましたが、差し押さえた財産の現金化は、まだ行われていません。
こういう事の成り行きを見守っている人は、『はやくやれ〜(ニヤニヤ)』と思っているのですが、やってくれないので、日本国政府の制裁措置も進みません。
時間切れ風化を狙っているのかもしれませんが、こういうのってさっさとやってくれないと、次に進めないのですよね。

上記の記事の国連や米国政府に対する保証の要求は、記事を読む限り、国内で止まっているみたいですが、こういうのもどんどんやってくれないと、はんぐくの異常性が伝わりません。

はんぐくは、国際社会に通用しない行動をもっともっとがんばってほしいなあ。

by mcap-cr | 2019-03-23 07:48 | 社会科学 | Trackback | Comments(0)

技術英語って面倒ですね

技術英語の書籍を読んでいてまた気になる英文を見つけました。

英文:Regulation of the speed is done by controlling the throttle.
和文:速度の調整は、スロットルの制御で行われる。

上の英文は、よろしくないから直せという目的の文例ですが、この書籍が強調する修正対象の部分は置いておいて、気になったのは最後の"controlling the throttle"という部分です。
この場合の"controlling"は、技術用語ではなく、一般用語です。
エネルギ、パワー、力などを区別しない一般の人が書いたような印象を受けます(関連記事)。

control=制御(する)

というのは、間違いありませんが、制御は、目的を持って所望の状態を得るため理論的に(勘でもいいですが)操作することなので、そこには、操作量を決めるためのロジックが必要です。
スロットルを動かすことは、『操作』することでしかありません。
操作量は、この場合には、人間が速度計を見ながら、所望のスピードになるように決めるので、人間の思考が制御ロジックになっています。
所望の値と実際値とのずれとその履歴から計算により操作量を決めるPID方式も制御の一種です。
ですから、制御という観点で書き換えると、最後の部分は、"manipulating the throttle(スロットルを操作して)"とすると、もうちょっと格好よくなります。
最初の"Regulation"というのもちょっと漠然とした印象を受けるので、こちらのほうを"Control"に変更すると、ちょっと技術的な感じになります。
"Control of the speed is done by manipulating the throttle."
(スピードの制御は、スロットルを操作して行う。)
ちょっとマシになりましたが、まだまだ、英語を母国語としない感じが強いです。

私の読んでいる書籍は、英語の表記法に焦点を当てています。
主題は、不要な受動態を避けて、明確な能動態にすることなので、正解は、
"Controlling the throttle regulates the speed."
としています。

制御工学の観点からは、"control"の使い方にちょっと違和感があります。
この書籍の著者の用法に従い、制御工学的に表現すると、
"Manipulating the throttle changes the speed."
(スロットルを操作するとスピードが変わる。)
というくらいでも良いのではないかと思います。
私が"control"を抜いたのは、元の文に制御ロジックが含まれていないからです。
これを命令形で、
"Control the speed manipulating the throttle."
(スロットルを操作してスピードを制御すること。)
と書けば、制御ロジックは操作者の中にあるので、こんな感じでもいいのかもしれません。

こういうのって、英語の問題というより、工学の問題のようですね。


by mcap-cr | 2019-03-22 06:57 | 科学・工学 | Trackback | Comments(4)