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バスレフ研究所 Personal Audio Laboratory mcap.exblog.jp

音楽は生演奏が最高ですが、レコード音楽は、工学オーディオによってリーゾナブルなコストで楽しみましょう。


by MCAP-CR
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寒さへの対応

昨日は結構冷え込みました。
金属部分には結露対策していた出窓も、木材部分が結露してしまったので、これはしょうがありません。
木材部分も保温しなければ結露対策にはなりませんが、木材表面がだんだんなくなってくるのもどうかと思います。
もう少し保温施工しようかどうしようか微妙な感じがしています。

昨日早朝の中央線に乗ったときに、ふと前を見ると若い女性が乗っていました。
腰から上はしっかりと防寒対策しているのですが、膝まるだしで寒そうです。
制服では無さそうだったので、自分の判断でそういう格好をしているのでしょうが見えるとよけいに寒く感じます。

そういう様子を見ていて子供の頃のことを思い出しました。
私は小学校2年の半ばまで上福岡市に住んでいました(当時は入間郡福岡町だったかも)。
上福岡は結構寒く、冬は毎年20cmくらい雪が積もっていました。
雪が無くても霜柱は高く、また、乾燥時は風で砂と砂利の間くらいの石の粒が舞って、脚に当たり痛かった。
冬でも半ズボンを履かされていたからです。
それが日常だったので寒いこと以外は考えていなかったのですが、その次は、富山県高岡市に引っ越しました。
高岡市は、当時毎年60cmから1mくらい積雪があり、冬の間は、田んぼと道の境界が見えなくなったので、田んぼを斜めに進んで学校まで通っていました。
雪で隠れていた水路に脚を落としたりしたのも今にして思えばご愛嬌ですが、やっぱり寒かった。
当然ながら、誰も半ズボンなんか履きません。
長ズボンの上にかっぱズボンを履き、それで雪の田んぼを更新して学校に通います。
最初にみぞれが降ったときは、上福岡の風習が抜けておらず半ズボンで学校に通って死にかけましたが、現地の習慣に合わせた格好をすれば、上福岡よりも寒いことはありませんでした。

最近は、実家に作業に行くことが多くなったので、四街道駅に行くと、寒いのに女子はスカートを履いています。
この時代に、寒いのを我慢させられているのか、慣れてしまって寒くないのかわかりませんが、冬は冬に備えた格好をすべきなのではないかと思います。
スカートなんかやめて長ズボンにすればいいのではないでしょうか。
こういうのは保護者から文句が出ないのでしょうか?
子供に我慢させたいのなら別なところで我慢させるべきで、寒さに晒して忍耐力を鍛える教育って何なのか?


by mcap-cr | 2019-11-30 06:59 | 社会科学
蒐集趣味にもいろいろあります。
切手やコイン、鉄道模型からお菓子の包み紙を集めるものまで様々です。
石や流木のような自然の産物を集める趣味などは、見ていて素晴らしいと思います。
しかし、問題は、収集者の死後の収集物の処理です。
処理しやすいのは、現金(貯蓄趣味の場合)、株式や国債などの有価証券で、それ以外は処理が困難な場合が多いです。
切手やコインの中にマニア垂涎のものがあったとしても、残された人には判別不能だし、実際には全然価値がなかったりする場合もあります。
ですから、蒐集趣味は、生前にどこかでケリを付けるのが良いと思います。
一般的な価値が高ければ、博物館に寄贈するのも吉だし、売っても良いでしょう。
所有者本人は、自分の宝が査定されるのが不愉快かもしれませんが、そういうことにはこだわらないのがいちばんです。
身近な蒐集趣味で困るのはやっぱりオーディオです。
いつのまにか閉店しましたが、私の自宅の近所ににL+というオーディオ店のようなものがあり、そこには、ジャンクにしか見えなようなオーディオパーツが並んでいました。
こういうのを個人の趣味でやってしまうと、普通の人には価値がわからないので、トンいくらで処分せざるを得ません(もちろんお金を払って引き取ってもらう)。
私もかつてはスピーカーユニットを収集していましたが、すこしずつ処分してきたので、幾分減ってきました。
高価なものとジャンクとを使い分け、中途半端なものは買わなくなったので、処分が楽だと思います。
最後は高価なものひとつとジャンクでつくったシステムひとつにして、施設に持っていければと思います。
それだったら残っても処分が楽ですから、これからつくるシステムは、実験用途以外は小型化する予定です。
実験用途でも大型は躊躇してしまいます。
やっぱりスピーカーシステム1個に小型冷蔵庫ひとつのサイズを割り当てるのは、御殿に住んでいなければ難しいです。
20cmのMCAP-CRの実験は面白そうですが、そんな巨大な箱をつくるのはやっぱり無理でしょう。
20cmコレクションは結局どうするのか考えなければなりません。

20cmユニットは、ヴォイスコイルが大型だと中高域の能率が上がるので相対的にハイ上がりになります。
すると、低域を何らかの方法で持ち上げなければバランスがとれません。
低域を持ち上げるにはどうするか...
多自由度バスレフだと、箱を大きくするのが現実的な選択になるので、やぱりスペースを食います。
10cmユニットの多自由度バスレフでもオフ会に持ち込むのは大変です。
これが20cmユニットにするとどうなるのか?
スピーカーユニットからみた箱のバネ定数を揃えようとするとバネ定数は、振動面積の2乗÷容積に比例するので、箱の容積はざっと16倍必要です。
それだけではなく、高域の能率が高い分を箱の効果でカバーしようと思うと、さらにバネを柔らかくしなければならないのでさらに大型化します。
これって東京に通勤する範囲内に住んでいる人の多くには現実的ではなさそうです。

ということで、スピーカーユニットのコレクションに戻ると、用途のないコレクションはいずれ使用しないまま手放すことになるでしょう。
何か寂しいですがこれが現実か...


by mcap-cr | 2019-11-29 06:01 | オーディオ一般 | Trackback | Comments(2)

断捨離の副産物

最近断捨離のことを書いていますが、自分の断捨離は、まず書籍から始めています。
書籍の多くは工学書です。
捨てると云っても、捨てるのは、紙だけで、スキャンして命の部分はパソコンに残します。
これをインターネットストレージのMEGAに保存してあり、所有しているパソコン全部で共有しているので、バックアップは自動的にとれていることになります。
数えてみると工学関係だけで既に230冊くらいあります。
金額もいくらか分かりませんが全部で100万円近いかもしれません(特に英語のが高いので)...
こりゃ本棚には収まらなくて当然か...

書籍類は、棚から出して読むにはよほどの理由が必要です。
ましてや、棚に入り切らず、箱詰めして押入れに詰め込んであったり、実家に保管してあったりするともう読むのは不可能です。
これをスキャンすることによって、形状はズタズタに切り裂かれますが、代わりにいつでも読めるようになりました。
断捨離の結果、息を吹き返したとも云えます。
テレビのニュースなどで大学教授にインタビューすると後ろに巨大な書棚がありますが、今後は、そういうことがなくなっていくのかもしれません。
書籍類はKindleなどで読めるものもありますが、学術書は、Kindleで『はい、わかりました』とはいきません。
学術書は、字を読んで、図を見て、数式を読んで、数式を別な形に整理して、図を書き直して、練習問題を説いて、何度も確認して、ようやく『わかったような気がしないでもない』程度です。
こういうのは電子書式では、印刷を許されていない限り無理でしょう。
ということは、いまのところ紙の書籍をスキャンするしかありません。
学者であっても、全書籍はスキャンするほうがいいのかもしれませんが、学者は、教科書程度は、中身を完全に理解しているので読み返す頻度が低いのかもしれません。

工学書をスキャンしていつでも読めるようになった効果として、内容を読み直すようになりました。
たとえば、電気工学の類は、自分は専門ではありませんが、教養過程での物理の教科書に基本的なことが記載されているし、学部でも電気工学と電子工学についてそれぞれ2単位履修しています。
履修とは云っても、完璧に理解したわけではなく、そのときの試験に通っただけで、身に付いた訳ではありません。
電気工学の教科書を読み直してみると、計測原理から、モータの詳細、トランスの動作など、基礎式を使いながら説明してあります。
たぶん、電気技術者でもこういう数式を理解して使っているのは一部でしょう。
というのは、電気技術者の資格取得には出てこないような基礎式を使って説明してあるからです。
『基礎』(英語ではfundamental)と書いてあると何となく易しそうですが、実際には、『応用』(英語だとapplied)より難しかったりします(というか実際に難しい)。
応用の方は、数式を使って代入していけば答えが出たりしますが、基礎のほうは、原理式を導いたりしなければならないので、物理に近い感じだし、関連知識がないとちんぷんかんぷんになります。
私の性格は、基礎(基本)が理解できていないと、応用するのが怖いと感じる方です。
アンプの修理のときに思ったのは、どことどこを接続すればいいかが分かっていても、その元となる原理の部分が分からないので、どこでどう想定外の問題が発生するかを恐れていたということです。
想定外だったのは、半導体は焼き切れると導体になる(不導体になると思っていた)こととか、パワーチップに温度検知の保護回路が付いていたことなど、ある方に教えていただくまで、知りませんでした。
機械的なことは、力学の基礎が一通り頭に入っているので、安全対策でき、その結果、いろいろとやってみることができます。
しかし、電気的には、上記の教科書の内容程度を完璧に理解し、なおかつ、応用設備の設計や取扱の経験がないとやはり怖いです。
この怖いという感覚が、漠然と怖いのと、事故を想定できるから怖いのとでは全然違います。
漠然とした危険に対しては、安全対策なんかできないのです。
何事も、想定してそれに対して対処するのであって、『西日本が沈没するような地震が来ないとは言えないから原発は危険である(実際の判決理由)』というようなアホは存在そのものが罪なんだと思います。
私は、電気の場合は、具体的に想定できる危険もありますが、その他なんとなく怖いというのが多いので、これを、ほぼ完全に事故が想定できて怖い、というレベルまで上げるのが第1歩なのでしょう。

ただ、電気について改めて読み直すと、当時考えていたよりも重要な内容が多く、いまは当時よりも興味をもって読むことができます。
ある程度教育して頂いた成果があったということなのでしょう。

こういうのは、断捨離の副産物なのですね。
ちょっとうれしいかも。
by mcap-cr | 2019-11-28 05:45 | 科学・工学 | Trackback | Comments(0)

解約

実家の整理をすると共に不要なサービスを解約しています。
思ったよりも簡単だったのは、NTTの固定電話です。
これは、電話で簡単にできました。

面倒で億劫だったのは、NHKの解約です。
インターネット下調べすると実際に機材を処分したかどうかまで調査に来るそうです。
こりゃめんどくさそうで、やっぱり最初から契約しないのがいちばんみたいです。
実家には、私が片付けに行くくらいで、テレビとアンテナは、全く使っていないので、こういうものを使えない状態にしたとわかるようにしなければなりません。
ということで、まず実家のテレビとアンテナを撤去して、外から見える駐車スペースに置きました。
それから更に調べると、解約届をダウンロードできるという情報があったのでこれをダウンロードしました。
そして、これに書き込んで送ろうと思ったのですが、送付先がわかりません。
しょうがないので、NHKふれあいセンターに電話して送付先を聞いたところ、インターネット上でそういう書類は配布していないといいます。
NHKは、解約のハードルを上げたようです。
すでにそこには住んでおらず、施設を出たら自分の家に引き取ると事情を説明すると、施設から移るのはいつか、なんて答えられないような質問を平気でしてきます。
しかし、最終的には、施設の名称と所在地を言っただけで大丈夫でした。
私の所在は明かしてあるので、きっと、怒らせてこちらも解約されたらまずいと思ったのかもしれません。

NHKは、総務省と結託して、インターネット人接続するだけでNHK使用量を聴取する計画を進めています。
総務省としては、NHKは重要な天下り先なので、国民のカネを食い物にする気が満々なのでしょう。
7月に実施しようとしてパブコメを集めたら反対意見ばかりだったようなので、11月にも内容を少しだけ変更してまたパブコメを募集しています(過去記事へのリンク)。

まだ間に合うようなので、コメントしていない方は、急いでコメントしましょう(パブコメのリンクを書いた過去記事)。
根拠法令もないという杜撰な処分です。
こういうものを許すと後から五月雨式にいろいろな改悪により財産権や自由権を侵害されるでしょう。


by mcap-cr | 2019-11-27 06:38 | 社会科学 | Trackback | Comments(0)

断捨離は常時実施する

最近は、実家の片付けにいくことが多くなりました。
とはいっても基本的には
『片付ける』=『捨てる』
ということです。

ゴミ収集の都合に合わせるので、すぐには捨てられませんが、準備をしておかないと、収集日に一気に捨てることができません。
まだまだ使えるものが多いですが、墓場に持っていくこともできないので、あまり考えてはいけません。
ゴミとは言えないようなものもゴミとして処分しなければならないので、胸が痛みますがそうしていると作業が全く進みません。

ゴミは分別しなければならないので、先日は、まず、可燃ごみとして収集してもらえるものを袋詰し、収集日にゴミ置き場に持っていきました。
45リットルの袋が殆どでと30リットルが交じるという感じでしたが、これが22個ありました。
運ぶだけでもかなりくたびれました。
住んでいればそうでもないのですが、そのために、4時過ぎに起きて(とは云っても毎朝その時間に起きていますが)電車を乗り継ぎ、長い距離を歩き、着いたら収集場所まで運び出す、とそういう作業になります。
これだけ捨てても、見えるところは全然変わっていないので、達成感はありません。

次は、母親の通院の日が不燃ごみの収集日なので、まず調理器具を袋詰めしました。
不燃ごみは20リットルサイズと10リットルサイズでこちらも10袋ちょっとできました。
不燃ごみはカラスにつつかれる心配がなく、駐車スペースに仮置しておいたので次は少し楽でしょう。

調理器具は、まだ真新しいようなのもありました。
中年くらいまでは、盛んに料理もしたのでしょう。
でも、ちょっと考えてしまいました。
たとえば、揚げ物とか、自分の台所で調理する必要があるのでしょうか?
揚げ物は、外食でも惣菜でもいただくことができます。
揚げ物をするために調理器具が必要だし、台所も汚れるし、火災の危険性も増します。
それでも、家庭で揚げ物を調理しなければならないのでしょうか?
自分が調理が趣味で、家族を含めた他人に振舞うことが趣味であればそれも良いでしょう。
しかし、自分が食べるために揚げ物をするのは自分はちょっと遠慮します。
学生時代を思い起こしてみると、ガス台1個を設置できる小さな台所があっただけでしたが、鍋一個で米を炊き、炒めものをして食事を済ませていました。
足りなければ同じ鍋で順番に次の料理を作る。
一人だったらそれで十分でした。
家庭だったらもうちょっと華やかでもいいですが、それでも鍋が何個必要か考えてみると、さほどの数は必要なさそうです。
もうひとつ考えておかなければならないのは、見えるところに収納するほうがいいということでしょう。
見えるところにあれば、不要だと判断するのも容易です。
隠れていると、使わずに終わることもあります。

まだ体が不自由なく動くうちはいろいろあってもいいようですが、そういううちに断捨離しておかないと後が大変です。

やっぱり、断捨離は、常時実施するものなのだろうと思います。


by mcap-cr | 2019-11-26 05:47 | 社会科学 | Trackback | Comments(6)
音楽をちゃんと勉強したことのない自分は音楽の知識がゼロですが、聴衆にはそういうレベルの人もちらほらと混じっているかもしれません。
しかし、最近気付いたのは、演奏会で最高のパフォーマンスを発揮するには、聴衆が必要だということです。
聴衆も演奏会に参加しているということなのかもしれません。

思い起こしてみると、私は、二十年以上前に、アンネ・ゾフィー・ムッターの演奏を聴いたことがあります。
アメリカの中堅都市にある、ピッツバーグ交響楽団の客演ソロとしての演奏でした。
ムッターは、当時も有名だったので、さぞかし盛り上がるだろうと思っていましたが、何となくシラケていました。
そして、後半には、コンサートマスターがソロを担当する『シェエラザード』をプログラムに入れており、そちらのほうが盛り上がっていました。
妙な感じなのですが、ひょっとしたら、アメリカ人には、元ナチスのカラヤンの弟子のようなムッターを聴くのは抵抗があったのかもしれません。

同じシーズン(1年違いだったかも)に、五島みどりの客演そろの演奏もありました。
古い記録があるかと思い、Pittsburgh Symphony Orchestraのページを探してみましたが、そういう古い情報はすぐには得られないようでした。
ムッターのときとは、全く雰囲気が違いました。
聴衆は大熱狂!
確かに凄かった。
五島さんは、聴衆の心を捉えっぱなしで離しません。
最後まで聴衆の心を引きずり込んで大喝采でした。

この二人に対する聴衆の反応の違いは一体何だったんだろうか。
ユダヤ人の多いアメリカ社会では、ナチス出身のカラヤン系列の音楽家は歓迎されないのか。
それくらいしか思い付きません。
確かに、ムッターが地味な曲(バルトークだったかな?)を演奏したということもありそうです。
それに対して五嶋みどりはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲というわかりやすい演目でした。
それにしても、ムッターのときは、後半には厭味ったらしくヴァイオリンのソロがあるシェエラザードを演奏しました(そちらは大喝采)。
(ちなみに、チェロの独奏があった公演のときにも、後半にチェロ独奏があるプログラムを組んでいたことがありました。こういう感覚はよくわかりません。)
しかし、五嶋みどりのときは、そうしたことをしませんでした(曲目は忘れましたが)。

ただ、素人の自分にとって名演奏だと印象に残ったのは五嶋みどりのほうでした。
ムッターのときは、妙な雰囲気が記憶に残ったくらいで、音も演奏も全然覚えていません。

最近、日本の若い演奏家の演奏を生で聞くようになって、無意識のうちに、以前よりもずっと集中して聞いていることに気付きました。
集中することによって、作曲家や演奏家が伝えたいことが自然と入ってくるように感じます。
そして、自分以外の聴衆も集中して聞き入っているように感じます。
演奏が終わったときには、ジワリ、とやられっぱなしです。
これって、やっぱり他の聴衆の影響もあるのではないか、その場の人の意識が同じ方向に向かうと精神が高揚するのではないかと思うようになりました。

と書いてみて、聖地巡礼の話を思い出しました。
私は、昨年幸運にもサンチアゴ・デ・コンポステーラに行くことができました。
足で歩いての巡礼ではなく、バスで行く手抜き旅でしたが、夜間と早朝のミサに参加しました(キリスト教徒ではないですが)。
そこで、同じくミサに参加した人たちと祝福の挨拶を交わします。
実際に自分の足で行脚して訪れた人たちは、抱き合って喜びを共有します。
そして、大切なのは、人々と会って喜びを共有することなのだそうです。

聖地巡礼と同じように、演奏会には、人々と喜びを共有するという効果があるのだと思います。
一人でオーディオ装置から流れる音楽を聞いても人々と直接にその経験を共有することはできません。
音楽でなく音を聴くというのなら尚更です。
オーディオ趣味が廃れた原因はこういうところにもあるのかもしれません。

喜び経験の共有は、オーディオ装置で音楽を聞いても無理です。
自分の場合、オーディオ装置で聞いても集中できるのは30分未満の1曲が限度で、どうしても、関係ないことを考えてしまいます。
音についても考えてしまうし、装置についても考えてしまいます。
もちろん、オーディオ装置で聞く音楽にも都度新たな発見はありますが、生で聞くのとは、集中度がぜんぜん違うのでぼやっとしている感じで、なんとなく音楽を楽しむくらいのものです。

オーディオ装置で聴くなら亡くなった往年の演奏家の演奏も楽しめるし、その場で聞きたい曲を聞けるので、オーディオ装置のメリットは大きいのですが、生演奏と比べるとちょっと違う。
やっぱり、それぞれの特長を斟酌して、それを楽しむしかないのでしょう。


by mcap-cr | 2019-11-25 06:05 | 音楽・コンクール | Trackback | Comments(6)

自分を見失わない

オーディオ趣味でよく経験するのが、『良くなった』とか『悪くなった』と感じることです。

しかし、こういうのは、感覚の不確かさとか自分の体調によるバイアスが原因であるかどうか、最初に疑うことが重要だと思います。

感覚の不確かさは特に重要で、例えば、音量が違う、というようなことに普通は気付きません。
かなりの音量差があっても、それが音量差であることに気付かず、音色差であると認識することがあります。

自分でやってみると分かるのですが、音量を揃えるのななかなか困難です。
スピーカーシステム以外の条件を比較する場合には、テスト信号を再生して、その出力電圧をテスターで計測することが必要で、これをやってみると思いのほか難しいです。

テスター計測で比較的正確な周波数は、電源周波数と同程度の50Hzとか60Hzくらいです。
これをスピーカーシステムで再生しながら測定するのは五月蝿いです。
代替方法としては、ある条件で音量を決めたらそれ以降はヴォリュームを固定してスピーカーシステムの接続を外し、代わりに固定抵抗をつなぎ、その状態で固定抵抗の両端の電位差を測定します。
ほんの少しヴォリウムを操作すると、出力電圧が思いの外大きく変わってしまいます。
これをやってみると分かりますが、小数点以下二桁まで揃えるのは至難の技です。
数%の電力誤差は必ず出ると考える必要があります。
しかし、この電圧を揃えると、一応は、スピーカーシステムにかかる電圧を同等にできるはずです。

国産メーカーの半導体アンプでは問題ないのですが、ヴォリウム位置が同じでも、周波数が違うと電圧が変わってしまうアンプがあります。
アンプの正しい動作は、周波数にかかわらず、電圧を一定にすることなので、周波数によって電圧が変わってしまうと音が変わります。
いわゆるダンピングファクターが低いと、こういうことが起こります。
好き嫌いで判定すると、正しくないアンプを選んでしまったりします。

こういうのは面倒くさいし、電圧を揃えても、ついうっかりヴォリュームを触ってしまったら最初からやり直しです。
耳で聞いて音量を合わせると、途中から音の差がわからなくなります。
音量が揃うと同じ音に聞こえるようです。
これは、経験すれば分かります。

そもそも音についてあれこれ言う人は、どちらといえば年配の人が多いようです。
歳を負うごとに耳の感度は下がり特に高域では顕著になります。
そういう耳でうるさいことをいうのはどうなのでしょう?
私は、スピーカーの音の好き嫌いは分かりますが、良し悪しの判別はできません。
酷く歪んでいれば分かりますが、スピーカーの音なんかアンプの何倍も歪んでいるわけですから、歪みが数ポイント変わってもほとんど分からないかもしれません。
歪が増えると高調波が乗るので、歪の検知能力も若い人のほうが上だろうと思います。
耳の高域感度が下がると歪を好む傾向が出てくるかもしれません。

聴感では、音の評論はしないほうがいいのかもしれませんね。


by mcap-cr | 2019-11-24 06:22 | オーディオ一般 | Trackback | Comments(0)
昨日はGSOMIA破棄の撤回とか大騒ぎしていました。
もう3ヶ月まえに破棄宣言していたのにそれを撤回して、無かったことにできるのでしょうか?
前回の破棄は公的なものではなかったという扱いなのでしょうか?
法的手続きっていったいどうなっているのでしょうか?
よくわかりませんが、いかにもあの国らしいです。
個人的にはそのままサヨナラを期待していたのでがっかりですが、米国は更に絞り上げて最貧国に落としてから切るのでしょう。

話は変わりますが、MCAP-CRのような多自由度バスレフにはダクトが必須です。
ダクトには外から見える露出のものと外からは見えない隠蔽のものがあります。
隠蔽ダクトは、デザイン上あまり気になりませんが露出ダクトは、その名の通り露出しているので、デザインが問題になります。
見た目が格好良く決まれば見える部分に配置しても良いですが、格好悪い場合は後面や下面など直接見えないところに付けるほうがいいでしょう。
というのは、音は視覚に左右されて変わるからです。

正面の見えるところにダクトがあると、定位が悪くなるという人がいるらしいです。
そう思うのは、視覚で評価しているからでしょう。
私の場合、ダクトはなるべく見えないほうがいいと思います。
それは、単に、仕上げが面倒だからです。
リアダクトのほうが音にいいのは漏れてしまった中高域が聞こえにくくなるということくらいでしょう。
他には良くなる要素は思いつきません。

それでも、正面にダクトを付けるとなると、格好良く仕上げなければなりません。
これはかなり面倒です。
前面に付けるとなると、差し込んで終り、という訳にはいきません。
単に手抜きをしたいだけか...

天板にダクトを付ける方法もあります。
長岡先生はこの方式をチムニーダクトと呼んでいました。
煙突のようなダクトということで、煙突ダクトでも良かった気がしますが煙が出ないのでチムニーとしたのでしょう。

チムニーダクトの問題は、上にものを置けないことと、中にものを落としやすいということでしょう。
その問題がなければ、一向にかまいません。
試作機ならそれで全然問題ないし、デザインに含めえばそのほうがいいともいえます。
チムニーダクトが音に悪い理由は思いつきません。
総合的にはいちばんいいのかもしれません。

最近は、音を詰めていこうという気が無くなったなあ。


by mcap-cr | 2019-11-23 05:54 | スピーカー設計 | Trackback | Comments(4)

片付けは大変

このところ母親の入院騒ぎから老人ホームを探すなど自分の身内関連でいろいろなことがあります。
その中で、自宅を処分することにして買い手を探しているところですが、不動産屋さんは、お祓いをするほうが良いということだったので、来年の年初にお祓いをすることで進めています。
不動産屋さんによると、病死であっても中で死んだ人がいると告知しなければならないそうで、私の実兄が該当するので、とりあえずはお祓いが必要と思います。

思い起こすと、この家は、中学から高校にかけての6年しか住んでいませんが、妙な経験をしています。
まず、住み始めた頃に、和室で寝ていたら、どうも寝付けなかったのですが、明け方近くに、顔をバシっと叩かれたような感じがしました。
本当に叩かれたわけではないので、痛いとかそういうことはないのですが、金縛りに近いような嫌な感じでした。

それと兄が亡くなった後に片付けをしているときにも変な経験をしました。
兄が使っていた部屋を片付けてその部屋でうたた寝をしていると、目覚まし時計が!!!!!
全部電池を抜いてあったと思ったのですが、抜き忘れがありました。
しかし、それまで1ヶ月くらい鳴ったことはなかった目覚ましがどうして鳴るの?

その後も気持ち悪いので、母がここから出た後は、明るいうちにしか過ごすことがありません。
暗くなるとちょっと怖い...
幽霊なんかいるわけないのですが、それでも気味の悪いものは悪いです。

考えてみれば、自分が普段暮らす家以外で、一人で過ごすのはちょっと気味が悪いです。
ホテルなどは、他の宿泊客や従業員がいるので、一人ということはありません。
やっぱり生活していない家で過ごすのはちょっとナニな気がします。

ということで、神主さんが来られる前に少しでも家の中を片付けようと中のゴミを処分しています。
しかし、住んでいるわけではないので、都度朝来て日暮れ前に帰るということが必要です。
まず捨てられるものは全部捨てようと、燃えるゴミから始めました。
燃えるゴミは、土曜の朝に収集があるので、それまでに袋詰して貯めておいて一気に捨てるようにします。
とはいっても、一気に何十袋も捨てられないので、そこは程度があります。

まず、玄関をきれいにするために、靴を処理し始めたら、その数に辟易しました。
母親の靴なのですが、似たようなのがたくさんあって、全部箱に入っています。
箱ごと捨てると袋にあまり入らないし破れるので、箱から出して45リットルの大袋に詰め込みます。
靴だけでいくつ袋を使ったのか。
箱は箱で資源ごみなので、開いてまとめます。
燃えるゴミにしてそのまま袋に入れると袋が破けるので面倒ですがしょうがありません。
箱だけでもすごい量になりました。

それと多いのが、兄の背広類。
亡くなった後に結構処分したと思っていたのですが、出るわ出るわ...
ハンガーだけで山になりました。
これって、燃えるゴミと燃えないゴミが混在しています。
分離が大変です。
こんなに必要だったのか...

もちろん今回だけでは終わりません。
ここでできるだけやっておかないとあとでゴミ処分費用がすごいことになりそうです。
あと何回やったらすっきりするのか、先が思いやられます。

やっぱり人間は必要量を超えたものを持つべきではありません。
自分もいまのうちにすっきりしなければなりません。


by mcap-cr | 2019-11-22 06:14 | 社会科学 | Trackback | Comments(0)
桜を見る会というのが政争の具にされています。
どこをどう見ればそれが政争の具になるんだかわかりませんが、いまだにテレビを見て新聞を読んでいる人には、それが『アベが悪い』につながるんだそうです。
そういうのって、民主党政権のときはどうだったのかを伝えれば、自民党政権のほうがよっぽどマシになるのがわかるんですが、そこは隠蔽報道の自由ですから。
しかも、デマばっかり。
『久兵衛の寿司が使われていました』→久兵衛:『違います』
『自分が見積もりをとったら1万何千円になりました』→『オプションついてるだけ』
自分のように報道ヴァラエティを見ない人には『はぁ?』なだけなのですが、本当にこんなのが政権攻撃の材料になっているのでしょうか?
マスコミが全力で国民総白痴化を狙ったのが効いているのか?
むしろマスコミ総白痴化の効果のほうが大きいような気がします。

そこで、芸能人の誰だかが麻薬で逮捕されたそうですが、これも『政府の陰謀』なのだそうです。
政府は逮捕可能な芸能人のリストを維持していて、自分が危なくなると順に逮捕して目を逸らさせるのだとか。
こういうのが効く相手とは、テレビ漬けの人だけでしょう。
そもそも、ヴァラエティとか見ていないと芸能人の名前が分かりません。
古くから活躍している人は分かりますが、それ以外は全然分かりません。
『誰それ?』状態なので、『あっそう...』で終わりです。
そもそも、マスコミのほとんどは反自民党政権側なのですから、芸能人が逮捕されたところで、報道は5秒で終わらせればいいでしょう。
そもそも報道する必要さえありません。
そういうさじ加減ができるのに、政府が芸能人を逮捕したいときに逮捕したって意味はないでしょう。

やっぱり昔から言われていたことは名言だった。

『テレビばっかり見ていたらバカになる』

by mcap-cr | 2019-11-21 06:26 | 社会科学 | Trackback | Comments(2)